熊谷建太郎って何者?(高校生編)
どうも。またまた夜勤明けです。
前回の投稿からだいぶ間が空いて、越年しました。
2023年もどうぞよろしく。
というわけで、今回は高校編です。
前回を読んでない不届き物は回れ右して
読んでから出直してまいれ。
話はそれからじゃ。
それでは、どうぞ。
高校入学直前
~ライトくん~
中学卒業前の11月、熊谷はとある高校の
野球部の練習会に参加した。
後の母校である。
参加したのは熊谷含め3人。
前回にも登場した主将と
関西からやってきた副主将である。
熊谷は高校進学するなら知ってる人間がいた方が
いいと、彼らと同じ高校に進路を定めていた。
会場について、練習着に着替え、会議室に移動。
30分ほどのミーティングが始まった。
監督の自己紹介、戦績、部の雰囲気などなど…
少々の雑談もはさみつつ、和気あいあいとした
感じで練習会が始まった。
いざ始まってみると、さすがにふたりとも
小学校から野球をやっている人間。
ある程度は練習についていけていた。
一方の熊谷はというと…
打てない 走れない 守れない
圧巻のプレーを見せつけ
ある意味注目を集めていた。
さらに熊谷は、何とか爪痕を残そうと声を張り上げながらライトの守備位置でシートノックを受けた。
これが功を奏したのか練習会が終わるころには
やかましい「ライトくん」として
一部の先輩には顔を覚えられていた。
高校一年生
~これが高校野球~
練習会から5か月後、直前の模試で
合格率20%と言われた受験を見事に突破した
熊谷は晴れて中学を卒業し、高校生となった。
ちなみに当時の母校の偏差値は40そこそこ。
受験倍率は 1.1倍ほどだったらしい。
中学のころと違い、仮入部で迷いなく野球部を選び
ホームルームもそこそこに意気揚々と練習へと
向かった熊谷だが、ここで高校野球の実態を知る。
練習前のミーティング、当時の主将が
中心となって厳格な雰囲気で行われる。
緊張で話もろくに聞けないままアップが始まる。
グラウンド外周。しかもそこそこのスピード。
ついていくのもやっとである。
ヘロヘロになってから準備体操。
すでに準備はし過ぎている。
ダラダラやろうものなら先輩からの
無言の圧が背中に刺さる。
まだ仮入部なので怒鳴られないだけマシである。
体操が終わればキャッチボール。
一年生は端っこで行う。
キャッチボール中、相手になっていた
同じ中学から進学してきたやつがぼやいた。
「俺、高校野球、無理だわ。」
翌日からそいつは練習に来なかった。
~改めて知る現実~
高校野球というものを知り始めて数日。
晴れて正式に入部した訳だが
待っていたのはさらに厳しい現実だった。
仮入部期間が終わって最初の練習。
いつものようにヘロヘロになりながらアップを
終えてキャッチボールの準備をしようとすると
「一年集合」
先輩が二名ほど号令をかけていた。
息も整わないまま、駆け足で向かう。
始まったのはボールを使わない基礎練習。
1年生はグラウンドにも入れず
徹底的に体づくりである。
ボールを使って練習できるのは三年生と
わずかな二年生のみ。
基礎練習が終わる頃には、グラウンドが空く。
そこで少しだけボールが使えるが
すでに体力は無い。
せっかく練習ができているのに
全く楽しくなかった。
そんな生活を続けて迎えた6月ごろだっただろうか。
いつものように基礎練習に向かう。
周りを見ると、みんなそこそこ練習に
ついていけるようになっていた。
しかし、自分は一向についていけない。
悔しかった。気づいたら泣いていた。
そんな気も知らない同級生は茶化して笑う。
「これぐらいで泣くなよ」と。
なるほど。
ぐうの音も出ないとはこの事か。
自分が今やっているのは初歩も初歩。
いわば、できて当たり前のことである。
正直、野球をなめていた。
中学で基本の「き」は書けるようになったと
思っていた熊谷。
実際は「き」の一画目すら
まだ覚えられてなかったらしい。
~夏の終わり~
7月、夏の都大会一回戦を迎える。
結果は初戦敗退。
ここまで、まるで強豪校のように書いていたが
我が母校は決して強豪校ではない。
少なくとも、熊谷がいた3年間は。
悔しさに顔をゆがめる三年生。
神妙な面持ちの二年生。
どんな顔をすればいいかわからずに
とりあえず静かにしてる一年生。
始めて夏の終わりの空気感を味わったところで
代が変わる。
とはいうものの、以前に比べてボールに触れる
機会が増えたぐらいで
大まかな部分は変わらない。
アップ、基礎練、技術的な練習。
これの繰り返しである。
練習試合や秋の都大会など、試合はたまに
あるものの、それは一部の人間の話。
当然、メンバーに入っていない熊谷には
そんなものは関係なかった。
以前ほど野球に対して熱のなかった熊谷は
すべてを適当に消化していった。
~人生初ヒット~
秋大会が終わって程なく、珍しく全員参加の
遠征があり、熊谷もそこに帯同した。
その日はなんと三試合。相手は埼玉県の
大宮南高校とだった。
熊谷の出番は三試合目、普段試合に出てない
一年生に実戦経験を積ませるための
7回制の試合だった。
試合前のミーティング、メンバー発表で衝撃が走る。
「9番 ライト 熊谷」
はっきりとそう言われた。
人生初のスタメンである。
そこからは記憶が途切れ途切れである。
アップ、シートノックもそこそこに試合開始。
第一打席を迎える。
たぶん三球目だったと思う。
高めに浮いた球を夢中で振った。
打球はセカンドの頭を越えて
ライトの前に落ちた。
熊谷、人生初ヒットの瞬間である。
そこからは、絶対に追いつかない打球に飛びこみ
後ろに逸らしたこと以外記憶がない。
ただ、中学で野球を始めて4年目にしてようやく
一本目のヒットを打ったというのは事実である。
~記憶に残らない冬~
なんやかんや言って、高校生だった頃の思い出は
楽しくて覚えてるもんだが、この頃の思い出は
思い出せない。
本気で思い出せないのだ。
何か印象のある出来事とか、一向に思い出せない。
てか、たぶんない。
「お前、途中で書くのめんどくさくなっただろ。」
「夜勤明けで、書くのしんどいだけだろ。」
と、思った画面の向こうのアナタ。
半分正解である。
しかしそう言われても、ない記憶を
捏造したってしょうがない。
ここから一気に時間を
「一つ上の代の引退」まで飛ばすとしよう。
高校二年生
~俺達の時代~
さて、一気に時がたち、高校二年の7月。
ついに自分たちの代になった。
ここまでの主な出来事と言えば上の代が引退した
のと、下の代が入ってきたことぐらいである。
上の代の最後の試合。
崩れ行く先輩たちを見ても何も感じないぐらいには
野球への意識、情熱、興味が無かった。
今思えば一番野球が嫌いだった時期かもしれない。
9割が野球への愛で構成されてるような熊谷でも
野球が嫌いな時期があったのである。
~衝撃の合宿半日オフ~
あれは確か夏合宿の2日目。
午前中にシートノックを行っている時だった。
一塁に入っていた後輩がバックホームで
捕手の頭を超える暴投を投げたのだ。
そのプレーの直前まで内野手全体で暴投が多く
監督に喝を入れられた直後だった。
当然、監督はそのプレーに喝を入れる。
しかしその後輩は何が起きたか、わかっていない
ような様子で、監督の問いに対し
うわごとの様に「はい!」と返事をしたのだ。
監督、激怒。
バットを叩きつけ、ノックをやめて
引きあげてしまったのだ。
その後、全員で監督に謝罪しに行ったが
半ば呆れた様子であしらわれ
午後からはオフになった。
せっかくのオフだったが
誰も、何も、やる気も起きず。
それぞれ自室でくつろいでいた。
途中、外部の先生が差し入れてくれた
ガリガリ君を頂いたが、あれほど味の感じない
ガリガリ君は未だ経験がない。
~高校三年生~
~再燃~
さて、夜勤明けでいよいよ書くのがめんどくさく
なってきたので、この話も締めにかかろう。
いよいよ最終学年となった熊谷。
春には合宿でバットを叩きつけた監督が
他校へ異動となり、新しい監督となった。
三年生になったことで、Bチームの試合に
ちょいちょい出るようになる。
まれにだがヒットも出るようになり
段々と野球への情熱が再燃してきた。
そして熊谷の中に、ある思いが芽生え始める。
「レギュラーメンバーになりたい。」
それから(熊谷比で)野球に本気で
向き合い始めたが、残された時間は余りにも短い。
高校最後の大会まで三か月。
今まで惰性で過ごしてきた事を
後悔することになるのは、分りきった事だった。
~引退試合~
夏の大会前、最後の練習試合。
Bチームの試合でも出場がなかったことで確信する。
それから数日後、メンバー発表が行われたが
背番号はもらえなかった。
分りきったことである。
目の前で自身のメンバー落ちを悔やみ
泣く後輩の二年生を見て、泣くに泣けなかった。
だって、めっちゃ泣いてんだもん。
泣きてぇのはこっちだよ。
とはいえ覚悟はしてたので
悲しいのは一瞬だった。
メンバー落ちした三年生は二人。
メンバーの遠征にマネージャーとして帯同するか
Bチームの練習試合に参加して引退試合をするか
二択を決めていいと贅沢な提案をして頂いたが
迷わず前者を選んだ。
思えばこの時から、こういった
下働きが好きだったのかもしれない。
もう一人はあまりにショックだったのか
どちらも選ばずしばらく休んでしまった。
さて、遠征に帯同した熊谷だが
思わぬハプニングが発生する。
なんと相手校に欠員が出て
八人しかいないというのだ。
結果、熊谷が九人目となり試合が行われた。
「九番ライト」
人生二度目のスタメン出場。
ここに何とも奇妙な引退試合が誕生したのである。
三年間、苦楽を共にした仲間との対戦は
なんとも気恥ずかしかった。
主将で捕手だった奴が気を使って速球中心の配球で
挑んでくれたが、結果はあえなくノーヒット。
メンバー外にして正解である。
奇妙だが楽しかった引退試合は
こうして幕を閉じた。
~夏の終わり2~
熊谷の高校野球、最後の夏はあっけなく終わった。
初戦は連合チームと当たり突破したが
次戦で私立高校と当たり敗戦。
応援団長としてスタンドで声を張り上げ
保護者の方々のご厚意で
「背番号21」を頂いた思い出は
一生消える事は無い。
生きた証である。
~まとめるほどでもないまとめ~
最後は驚くほどあっさりまとめたが
何となくお分かりだろう。
書くのがめんどくさくなったのである。
こういうの継続できる人ってすごいね。
尊敬するわホント。
続きは社会人編です。いつ世に出るかな。
期待しないで待っててください。
ここまで読んでくれた画面の向こうのアナタ。
今年はきっといい年になるよ。
ラッキーアイテムは「折れたノックバット」です。
2023年もどうぞよろしく。
ではでは…
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