はじめの、一歩。

昨日、次の2つのブログを読んで、なんとも言えない感覚を覚えた。

「完全看護」は理想の姿なのか https://note.mu/tnishi1/n/ne198f3d4e8b5

「批判されない医療はない」からこそ https://note.mu/kaguyahime/n/nd92192c6d6db

いずれも専門家の視点としては優れた視点を示してくれていると思う。それぞれの立場・視点から、体調不良を抱えている方に、より質の良い医療を提供できるのかを、日々考え、感じておられるのだろうと思う。その視点には異論がない。

「看護は看護師の手で」というスローガンの下、「完全看護」なる言葉が制度として出現したのは1950年(昭和25年)だそうだが、入院した方の世話を十分に提供売るのが困難だったのえ、1958年(昭和33年)に「基準看護」という表現に変更されたという。その背景はともかく、病んでしまった方を家族が抱えていたが、回復しきれずに入院するに至った場合、「手当て」が必要になっているのは入院した御本人だけではなく、ご家族にも休養を含めた「手当て」が必要であろう。家庭よりも医療的に優れた病院に治療のバトンを渡した後も、なお、本人に付き添って身の回りの世話を続けるとすれば、家族の疲弊は想像以上に大きなものであったろう。

「2016年の世界銀行の統計によると、ベトナムの女性就業率は70%を超え、先進国最高であるスウェーデンよりも高い。それに対し、日本の女性就業率は50%弱で、先進国平均にも満たない」という事情があるにもかかわらず、ベトナムでは、その疲弊しきってしまいそうな付き添いが一般的なようだ。それはかつての日本の家族像としてありふれていた「大家族」に近いものだろうと思うが、ベトナムでは親類縁者が近隣に住んでいること、そして、社会の認識自体が、家族が病気ならそちらが優先という認識だというのは大きな要因だと思う。

「完全看護」や「基準看護」という表現が出てきた頃の日本は、概ね短期間で退院に結びつく、感染症による入院が少なくなかったであろうから、その非日常的な期間はそう長くなかったであろう。仕事をしている人が付き添うのは難しいから、「大家族」だったとはいえ、やはり大変であるのは想像に難くない。

Tomohiro Nishiさんが描いているベトナムの病棟は緩和ケア病棟では、入院期間が決して短くはないだろう。親類縁者が身近に多いといっても、その就業率を考慮すれば、やはり、病気の家族が優先という社会の認識が違うのだろう。

「家族や社会が看護師とパートナーシップをもって、新しい文化をつくっていく方が、結果的に患者にとって大きな力になるのではないだろうか」と、Tomohiro Nishiさんは『完全看護』の結びで述べているが、本来、生きている限り必ず体調は崩れる時が来る以上、病気の治療を家族だけが抱え込むことも、医療だけが抱え込むことも無理があるのだ。

少し視点を変えて、語源を探ってみよう。
入院を英語で言うと、「admit」と「hospital」のいずれかになる。前者は「自力で」入院できる人、つまり身体的には重症ではない人の入院を意味し、後者は身体的により重症な人の入院を意味するようだ。更に「admit」は、接頭辞のadに「〜の方へ」という意味があり、「送る」という意味をもつ「mit」と合わせて「 〜へ送り入れる」という意味から、「〜を認める」あるいは「〜入ることを許可する」、これが入院という意味を持っている。医療者側の視点でいうと、概ね入院を「admittion」で言い表しているから、「入院を許可する」という、いわば上から目線の意識が強いのかもしれない(https://www.rarejob.com/englishlab/column/20170725/)。

逆に退院を意味する「discharge」の方も同様な成り立ちになっている。つまり「送る」という意味を持っていた「miss」に、「分離・拒絶・奪う・やめる」という意味の接頭語「dis」が結びついていて(https://ameblo.jp/yamaketchup/entry-12187153165.html)、この視点も上から目線だ。

いずれにしても、医療の側は、病気の人の治療や入院や退院をお願いされ、許可する立場というわけだ。

治療する側と治療を受ける側に、立場の大きな隔たりを感じないわけにはいかない。想像するに、「入院生活」が非日常的なものだったからだろうし、医療という分野も同様に、身近ではなかったからだろう。

だが、今や医療という領域なしに生きていける人はない。同じ表現を使うのであれば、医療はもはや日常的な領域になっているのだ。

だからこそ、非難というより、批判という表現が相応しいのだと思う。身近にないものであれば、一方的に要望や不満を述べるしかないが、身近な出来事であれば、「自分なら~するのに」という、対等な立場で意見を述べることが可能だから。

まさに、Tomohiro Nishiさんが引用した『お預かり』という上から目線、言葉を換えれば「専門的な視点」ではないのだ。外から侵入してきた病原体を排除すれば治療が完了するのではなく、自分自身の一部として現れた病気と闘い、同時に共存すると必要があれば、当然、日常的な営みとして医療を組み込む必要がある。

「お任せします」「任せておきなさい」のやりとりでは、既に不十分な領域に来ている。

更に踏み込んで表現すれば、治療する側でさえ、生まれてから死ぬまでのどこかの時期には、治療を受ける側になり得る。つまり、それぞれの立場は固定されたものではなく、非常に流動的だ。「あなた=病める人」、「私=治す人」という、一方的な関係というのは、最早存在しない。

精神医療の領域では、そういう意識が以前からあった。当初は、原因不明な部分も大きかったが、今や、誰でも被るような様々な要因が精神的失調に繋がるのは、誰もが否定しないだろう。

『医療者はどう配慮しても、患者さんに対して権力者になり得る存在だと思います。批判をいただくことで、はっとし、自らを振り返ることができます。批判をいただかないようにするのはもちろんですが、やむを得ない場合には、それを生かすのもまた、専門職としての努めだと思うのです。』と、看護師の宮子あずささんの言葉を樋口佳耶さんは引用いている。病める人に対して「権力者」でありえるのは、既に述べたように、非日常的な関わりが多かったためであろう。日常的な営みの中で「権力者」が存在するのは好ましくない。他の誰かが必ず権力を奪われるからだ。

生きていること、生きて行くことは、誰にとっても基本的な権利である。他の誰かに許されたからというわけではない。病むのも、回復するのも、そうである。

精神医療に関わる全ての医療者が、流動的な関係を理解しているわけではない。しかし、これからの医療のありかたを、少しだけ先取りしているのは確かだ。

非難は最初から非難だったわけではない。なにげなく感じた疑問が、十分に解消されない場合、より強い批判に成長する。その批判も受け入れない相手に対しては、非難する以外の方法がない。もちろん、非難されればされるほど、その相手を遠ざけようとするのは人の常だが、それ以上にこじれてしまえば、直接的な暴力行為という最終手段が待っているのを、忘れてはいけない。

我々は、語り合う必要がある。とはいえ、段差が大きい今、最初の一言は批判かもしれないし、非難かもしれない。しかし、いずれにしても歩み寄れる余地はある。

そのきっかけは、どちらが作る方がよいのか。答えはもう、十分にわかっているはずだ。

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