司法は死んだのか?
前回は、なぜ自分の書いた文を裁判所に持ち込まず、前日になって弁護士先生の書いた文書を使ったのかについて、さわりだけ書きました。
これに関して、弁護士先生から印刷された一文をもらったので、もしかすると、それを読んでもらえればわかるかもしれません。これは見せて拡散してもいいと言われているのですが、かなり辛辣な表現も含まれるので、怒り狂って途中で読むのをやめる人がいるかもしれません。そこで私がやんわりと伝えることにします(笑)
司法はワクチン接種事業を止める事はありません!
これは断言できます。
司法にはそんな力もなければ、そうした判断をすることもありません。
以前に、私が司法の判断をあおぎたい、と書いたことがそもそも勘違いだったのです(~_~;)
数日前まで私が大きな見落としをしていたのです。
そして大半の人は、たぶん同じ見落としをしています。
日本の国の作りがそうなっているのです。
まず、日本の主権者は国民です。
国民は選挙で代表を選んで、国会議員となって国会を作ります。(立法)
行政の長は内閣総理大臣で国会議員から選ばれ、各行政庁の長を○○大臣とします(行政)
司法だけ国民の中で、司法試験を合格した人から裁判所の判事が選ばれ、最高裁の裁判長がTOPになります(司法)
司法だけ独立しているように見えます。これだけだと、止めそうに見えるかもしれません。でもね、ワクチンでなくたって、トンネル掘るにせよ、基地を移転するにせよ、法律は唯一の立法機関である国会で作られて、国会議員のなかから総理大臣も選ばれるのですから、そうした国民の代表が作った規則や法律に関して、司法が「ヤメロ」とか「憲法違反だから○○法は廃案」とは言えないのです。
もし、そうした判決を出したら、『司法主権』になってしまいます。
わかりますか?
国民の代表が、行政も立法もどちらもトップを務めていますし、主権は国民にあるのですから、圧倒的多数の国民が決めた、正しいとされたことに対して「ヤメロ」とは司法は言えないのです。主権は国民にあるのです。
やめさせる力があるのは、行政のトップの内閣総理大臣か、国会によって法律を変えるか、なくすしかないことになります。国会が唯一の立法機関ですし、国会にいる国会議員を選ぶのは国民です。
つまる所、選挙が全て(特に秋の衆院選)という事ですね。
だから、以前の文書は受理されただけでも、凄い事なのです。
(今の私からすると、なぜ受理され事件番号がふられたかが不思議です)
よく、マスコミとかSNS上で、
「これは憲法違反だ!」
「人権侵害だ!!」
とか、表現があると思います。
こうした事を、司法に持ち込んでも、受け付けてもくれなければ、確実に負ける裁判となります。そんな事を司法は判断したりしません。国民の決定を覆すことを司法はやらないのです。(司法は何をするのかは後述します)
選挙のたびに、弁護士会とかが、一票格差の問題で訴訟を始めます。
毎度、最高裁まで持ち込まれ、結論は『違憲状態である』にはなっても、『違憲だから選挙やり直し!衆議院解散』とは言わないのです。
選挙制度とその法律すら、主権者である国民によって作られたからです。
これが法で、これが国の制度になっています。
で、ワクチンですね。
私からすると、さっさとやめたほうがいいし、卵巣に溜まるのに、何が起こるかわかってないだけでも、女の人は、特に子供たちは打っちゃダメです。
科学的に考えれば、そうでも、法の解釈では違います。
法的には、国民の大多数が賛成して、手配してみんなが打てるようになったオクスリという事になってしまうのです。だから、私が止めようとすると、科学的には正しい判断でも、異を唱えている私は、少数派なんです。(本当に少数かどうか、本当に正しいかどうかは関係なくです。)法的には、司法からすると「変な事いいだす人がでてきた」となるかもです(笑)
でも、これで正しいのです。
こうした場合にも司法の仕事があります。そうした国民の総意で決められた素晴らしい事業でも、少数の不幸な人達が生まれてしまうので、そうした人達が訴えた時には助けてくれるのです。つまり私のもつ何かの権利を保全(守ってくれる)のです。これが私が裁判所に説明(疎明)しなければならない被保全権利となります。
内容に関してですが、どんなに科学的でも関係ありません。
(昨日の記事も科学的だし、論理的です)
たとえ、打った直後に国民の全てが死ぬような、わくわく頓珍漢だったとしても、司法は止められないのです。
正しい止め方の場合は、「厚労省と厚労大臣!何やってんだ!」「クビだ!」として、不信任案をだしてやめさせるのは国会(国民の代表)の仕事になります。
大体、わかりましたかね?
私が司法というものを誤解していたのです。
司法の皆さん、ごめんなさいm(__)m
そして大多数の総意からこぼれる、弱者(少数者)救済が司法の役割となります。
国民の総意(だとは1㎜も思ってません)で決められたことによって生まれる不幸を防ぐ手立てを判断してくれるのです。
では、私が依頼した弁護士先生がどんな事を書いたのか?
なぜ、その申立書にはワンチャンあると私が思ったのか?
という事になってくると思います。
ここまで、理解できた人なら次も理解できるはずです。
一カ月半前まで、全く訳が分かっていなかった私でも、その文章を読んだら、頭の中でバチバチスパークして、全てがつながったのですから。
逆にここまでが納得できない人は、何度か読み返してください。
ワクチン接種、それは国民がみんな(国会議員とそこから選ばれた内閣)で決めた素晴らしい予防薬を打つ素晴らしい国家事業だと、法的には解釈できます。でも、私にとっては、クソ毒薬で、他人の子供でも打たせるような事はしたくないです。もちろん大人にも打ってほしくないです。
私と家族は、自分たちで打たない選択をすればいいのです。
私が他人(他の国民、法的には圧倒的多数)のやりたいことをとやかく言うだけならいい(表現の自由)ですが、事業を止める権利はありません。みんなが、どんなにデマ太郎の発言とか国壊疑員の発言に騙されているとしてもです。打ちたいという人がいるなら、その人の権利を侵害できないのです。
そもそも、まわりが打つことによって、私の権利が侵害されるような形にならないと、土俵にはのらないのですが、基本的人権とか幸福追求権とかは公共の福祉に反しない限りという条件付きなので、法的には公共の福祉という事になってるワクチン接種事業は止められません。
「まわりの女の人が不妊になったら、子供のいる幸せな家庭が築けない!やだよそんなの!!」
だと、一方的なわがままになってしまって、他の人のワクチンを打つ権利(公共の福祉)を奪う事になってしまいダメなのです。
この辺を全部クリアーする工夫をしていて、最良の選択をしていたのが弁護士先生の書いた文章になります。これに気がついたので、私は、かなりの衝撃とともに、かなり反省して、弁護士先生のいう通りにやることを決めたのです。
アレは一瞬で目からうろこが5枚ぐらい落ちたような衝撃的な出来事でしたね。そして、この法的な論理だては、悪用されるととんでもないことになりますし、何より書類を裁判所に出した人、その人にかなりの危害が加えられる可能性があるので、むやみに出さないほうがいいでしょう。
わたしが一般に開示することは永久にありません。
そして、その文章をもってしても、止まるかどうかはわかりません。
まだまだ越えなければならない壁が何枚かあるのです。
まずは判事の壁です。
でも、きっと、判事の人にも、アレは伝わると思ってます。
なにせ、一カ月半しか法の事を勉強していないラーメン屋の私でも、
「あっ!!この文章はアレなんだ!」
って、すぐにわかりましたから。
そして、どんな考えの先生が書いて、どんな考えの人が訴えを出してきたのかも、間違いなく判事は気づくはずです。私の少なくとも1000倍は法律の勉強してる人達でしょうからね。
そのあと、審尋といって判事に呼び出されるそうです。今回のケースだと相手も呼び出されることになるのではないかという事です。
どこまでいけるか、この先が楽しみです。
追記
本題からずれますが、海外だと法そのものを憲法違反だと判断して禁止する事ができる裁判所があるそうです。憲法裁判所と言われていて、大陸型法体系(頭ごなしにああしろ、こうしろと言ってくる法律)のところに設置されることがあるそうです。
直接民主制のアメリカだと、国民が直接選挙で選んだ大統領にはかなり大きな権限があって、議会と拮抗するそうです。日本は間接民主制なので、やはり国民は選挙に行かないとなりません。それが一番大事な事ですね。
かなりどうでもいい、私のこだわりですが、私は誰でも彼でも『先生』とは呼びません。特に議員に対しては使った事がありません。ここまで読んだ人にはわかると思いますが、国会議員は国民の代表なのです。つまり、お隣さんぐらいに思っていいのです。お隣さんに偉そうに、頭ごなしに説教されたり、命令される筋合いはありません。主権は自分自身にあるのですから。
だからといって、呼び捨てにするとかの非礼をはたらくわけでもありません(笑)普通に○○さんと呼びます。
今回の騒動。妙な根拠の自粛も、変に恐怖をあおられるのも、無症状の後遺症とかいう訳の理屈も、そして救世主のふりして現れたワクチンも、言い出すのは議員やその議員が選んだ御用学者たちだし、その根本は選挙に無関心で実質信任したりとかの国民に原因はあって、さらにその根っこには、○○先生とか、相手の事を何も知らないのに、無駄に肩書や権威をあがめたり、信じたりすることから始まってます。なので、私は誰に対してでも軽々しく先生とは呼びません。
追記が長くなりすぎでした。
では、一緒に朗報を待ちましょう!
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