見出し画像

啐啄

よく言う一流選手になる条件として多くの指導者が「聞く力」をあげています。その中でサッカーの小野伸二選手を育てた清水商の監督さんがこんなことを言っていたのを覚えています。「素直にどれだけ人のアドバイスを聞けるか。どれだけ吸収する力を内在しているか。こればかりは僕のところに来る前の15年で決まっています。親によるところが大きいでしょう」

論語に「六十にして耳順う」とあります。この「耳順う」とは「無の境地」のことだと思っています。「いつでも なんでも来い」自分を無(白紙)にして相手を受け入れることができる姿勢。

素直になれる 謙虚にアドバイスを聞く。先達から基本を学び 継承し それを自分用に加工していく機会を 先に触れた15年の間に経験できているか否かが逞しい個と感性に関係してくるのでしょう。

「愛と追憶の日々」のシャリー・マクレーンが言っていました。「演技のコツはlistenです。相手のセリフをよく聞くこと」「listenとは相手の言うことよくを聞くだけではなく 自己主張のひとつだ」と。

きっとlistenとは積極的に自分自身の内面(物の見方・考え方)を変えることから始まることなのでしょう。相手の言うことに身を乗り出して聞かないと相手の言いたいことがダイレクトにからだに入ってこない。まずなんでも吸収するという姿勢・体勢を作るために自分のなかを無(白紙)にして空っぽにする。その姿勢・体勢がとれていれば上手くいかなかった時に人や環境のせいにはしない・できない。感性はこうしたことからも磨かれていくものなのでしょう。

「心を閉ざして相手の言うことを上手に受け止められない」「井の中の蛙」こうした状態は選手に限らず早い段階で乗り越えなければならない壁です。世界にはとてつもない奴がいるということをある段階で知ることが大切です。世界を知るタイミングが大切です。「私には無理」とお手上げになる前に「もう一つ上に行きたい」というときが世界を知るタイミングです。

雛が卵からかえるときに親鳥は卵の内から雛がつつくわずかな音を見逃さずに外からつつき返して殻を割ってやります。殻を割るのが早すぎれば雛は成長の途中で外の環境に耐えられないし遅すぎれば雛は卵の中で痩せ細ってしまう。早すぎても遅すぎてもいけない。すべてはタイミング。

耳を澄まして 目を研ぎ澄まして子供たちを見つめましょう。





「ちょっとやってみようかな、マネしてみようかな」というところからカラダの使い方に興味をもってもらえれば嬉しいです。