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139/自分に制限をかけて可能性を諦めている

2023年9月5日(火)
がん告知から139日目
※1,756文字


こんばんは。

今の時間で、
すでに眠気が来ています…
消灯は21:00です。


さてと…

今日は「小さい頃の夢」という、
思い出?過去の記憶?を振り返りながら、
書いていこうと思います。
(需要あるのか?笑…ラストには締めます)


▼サッカー選手になりたかった


小学校の1年か2年から、
スポーツ少年団でサッカーを始めました。

両親は、
父がテニス、
母がソフトボールとバスケをしていたので、
両親の影響では無いんですが…

なんで始めたんだろ?

キッカケはよく分かりませんが、
土日はもちろん平日も何日かは練習があって、
学童保育とスポ少の両立をしていた記憶です。

小学4年の頃かな…

Jリーグが始まって、
テレビでサッカーを観る機会が増えた結果、
「サッカー選手になりたい!」って夢見てました。

ちなみに…
ヴェルディ川崎推しから始まり、
小学5,6年の頃はベルマーレ平塚推しへ。
(ちょうど中田英寿選手が加入した頃かな)

三浦知良に憧れ、
武田修宏に憧れ、
ジーコやリトバルスキーに憧れて。

でも、
小学5年あたりには、
「自分はサッカー選手にはなれない。」って、
思っていました。

周りと比べて、
足が速いわけでも持久力があるわけでもなく、
背が高いわけでもキック力があるわけでもなく。

同じ学年は20人くらいいたと思いますが、
現時点でこのメンバーの中で上位にいないと、
「無理」でしょ。って。

なので、
ハッキリ覚えていますが、

小学6年の夏の練習試合の休憩中に、
僕と同じくらいのレベルの同級生と
「中学入ったら部活何やる?」って話してました。

サッカーは今でも好きです。
観るのも好きだしやるのも好きです。

けれども周りと比べて、
プレイヤーとしては上には行けないと、
小学5年の時には感じていました。


それと同時に、
「サッカー選手になりたい」と夢見てた、
あのフワフワしたワクワク感も、
現実を客観視して諦めていました。

好きだったサッカーも、
その当時は好きにはなれなかったですね。

サッカーは好きだけど、
上手くないと続けられないという葛藤…

ちなみに中高はバレーボール部に入りました。


▼自分に制限をかけるのか?


幼い時には、
何の疑いもなく(考えたわけでも絞り出したわけでもなく)

「なりたい自分」「夢」を、
妄想したり想像していた気がします。

「〇〇になれたら楽しいだろうなぁ…」
「〇〇になって活躍している自分の姿を妄想したり…」

20歳くらいまでは、そうだったかな…


だんだんと、
意識しないうちに、

現実を見るようになって、
周りの人と偏差値や能力を比べて。

『自分にできることは、これくらいかな。』って制限をかけて。


いつしか、
自分の出来る範囲、
自分の知っている範囲、
自分の動ける範囲
で決めるようになっていて、


自分で制限をかけているのに、
他人(活躍している人)には嫉妬をして、

「あの人は特別だ(運が良かった)」と、
チャレンジしなかった自分を正当化
して。

10歳くらいまでは、
もっと自由に制限なく「自分の可能性は無限」って思っていたのにな…。


周りと比べて、
世間を気にして、
失敗を恐れて、

その結果、小さい自分になっていて…。


大人になれば…

ローンがあるから、
子供がいるから、
もう歳だから、
時間がないし
って、
ここでも言い訳をして。


制限をかけて言い訳をして、
“たった一度しかない人生”なのにね。

病気になったり、
90歳になったりしたら、
さらに様々な制限がかかって、
行動することが難しくなるのにね。

「今より若い日はない」ってよく聞くけど、
ホントそうだよな〜って思う。


時間にゆとりができたら、
子育てがひと段落したら、
お金に余裕ができたら、

ハッキリ言ってそんな日は来ない。そう思う。

時間はいつだって無いし、
子育てが終わったら親の介護が始まるし、
お金はいくら稼いでも悩みは出てくる。


「人生一度きり」
「今日も一生に一度きり」

毎回入院するたびに、
「命」「健康」の有り難さを実感します。

日々の暮らしでは忘れちゃったりするけど、
今の「命」があるのは当たり前じゃないし、
今の「健康」や「心身」は当たり前じゃない。

今日の自分がいるのも当たり前じゃない。
明日が来るのも当たり前じゃない。

そう思ったら、
自分に制限をかけているのがバカバカしい。
言い訳をしているのがアホくさい。

あなたはどう思いますか?


2023/09/05
熊谷翼

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