旅立ち

今日は愛犬バニラの火葬をしてきた。
泣いた。涙がしばらく止まらなかった。

1月4日に誕生日を迎えて、5月12日に旅立った。
息を引き取る2日前に突然ご飯をあまり食べなくなり、呼吸が荒くなった。病院に連れて行くと肺炎と診断され、その翌朝4時に息を引き取った。危ないと感じてからすぐだった。耳が聞こえなくなっても目が見えなくなってもずっと元気だったし死んでしまうなんて考えられなかった。心のどこかでそろそろというのはわかっていたけど考えないようにしていた。とても辛くて悲しいけど、不思議と受け入れるのは早かった。17年と4か月、よく生きた。生きすぎた。一緒にいた時間が長いおかげで悲しくて仕方ない。こんなに悲しいなら17年も生きてくれるなよ。

ここ数ヶ月は瞳を閉じる筋力も衰えたのかよく目を開けたまま寝ていた。死んだ後の姿もいつものように寝ているようで、まだどこかで生きている気がしていた。息を引き取る前日の夜も一度呼吸が止まって、死んでしまったかと思ったらまた息を吹き返して、結局そこから6時間生きた。だからまだもしかしたら生きてるんじゃないかなんて、あり得ないけどどこかで思ってた。でも今日火葬場でバニラの周りに花を供えたときに、本当に死んでしまったんだと改めて感じて、それから涙が止まらなかった。

ペットを家族と言うのは嘲笑される風潮があるけど僕にとっては確かに家族だった。5歳の時から一緒にいてそれから17年、22年の人生で生きているうちのほとんどを一緒に過ごしてきた。あまりにデカすぎる。いつだって思い出して泣いてしまいそうで困る。本当は悲しいわけじゃない。17年も生きて、最期も肺炎とはいえもう長く長く健康に生きてくれて、不幸な死に方なんかじゃなくて大往生だと思う。悲しくはない、寂しい。

悲しくはないけど寂しいよねって家族に言おうとするたび何度も何度も涙がこみ上げてきてなかなか言えなかった。寂しいって考える方が涙が出てきてしまうな。けど寂しい。

本当は声をあげて泣きたいのに泣けなかった。本当はわんわん泣きたいくらいの気持ちだけど泣けなかった。声をあげて泣こうと思っても本能でそれを阻止される。涙は出るけど泣けない。大人になってしまった寂しさを味わった。大人になると子供のようには泣けなくなる。今日は馬鹿みたいに涙が出た。なんなら日記を書いている間も涙がぽろぽろと出てきた。涙は出る分僕は子供なのかもしれない。人前で泣くのはみっともないけど今日だけは涙を流していい気がした。兄は涙もほとんど流していなかった。絶対に寂しさは同じだけあるだろうけどきっと泣けないんだろうな。弟の前で泣けないというのもあるかもしれない。散々泣いたけど涙を流した分だけ心がすっきりした。涙は流した方がいい。

愛犬が亡くなったことをわざわざSNSに書いたりすることもどうなんだろうとは思っていたが、いざ自分の番が来るとこんなに内面をつらつらと書いてしまった。みんなどこか自分の心の中を整理したい気持ちがあってSNSにあげたりするのかもしれない。心の内を書いてしまって恥ずかしい。この日記はいずれ消すかもしれない。

「毎日落ち込むから毎日切り替える」
今日の日めくりカレンダーに書いてあった。たまたまだけどなんだか励ましてくれている気がした。明日からまた頑張ろう。
バニラは安らかに眠ってほしい。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。