さん付けの話

数日前に少し書いた、バイト先の女子に「俺人見知りだから」と言ったら「そういう感じする」と返されたことに少しショックを受けた話の続き

その女子にどういうところが人見知りっぽいかを聞いたところ、俺がその子のことをさん付けで呼ぶかららしい。他の人はみんな名字にちゃん付けで呼んでいるのに俺だけさん付けで呼んでくるから人見知りっぽい感じがするという事だった。この人の名前が佐藤さん(仮名)であるとしたら、要は周りのみんなは同級生も年下も含めてほとんどが佐藤ちゃんと呼んでくるところを俺は佐藤さんと呼んでいるという話。

確かに佐藤ちゃん呼びの方が少し親しめに感じる。が、俺は佐藤さんと呼びたい。なぜかといえば、単に名字にちゃん付けで呼ぶのが上から接している感じがして嫌なのだ。嫌いなのだ。向こうがそんな風に感じていなかろうが俺はその呼び方が嫌いなのだ。

ちゃん付けには例外もあって、2文字の名字なら呼べる。例えば阿部ちゃんとか伊部ちゃんとか宇賀ちゃんとか江田ちゃんとか小田ちゃんとか。いや小田ちゃんは少し嫌かもしれない。まあともかくあだ名のような感じなら呼べる。そう、あだ名は呼べるのである。そこにはこだわりはない。極論その人のあだ名が佐藤ちゃんならまあ佐藤ちゃんと呼べる。ん、同級生や年下のほとんどが佐藤ちゃんと呼んでいるならばもうそれはもはや佐藤ちゃんはあだ名なのでは?まあいい。佐藤ちゃんとは呼べない。

特別今までそのこだわりを自分の中に持ち続けて生きてきたわけではない。この件を考えて振り返ってみたときに気づいただけである。俺はよく考えたら高校の時ほとんどの女子のことをさん付けで呼んでいた。よくよく考えるとあまり名字の呼び捨てもしていない。これはまたこれでシンプルに高校の同級生となじめていなかっただけなのでは?こうして振り返ってみると気づきたくない現実にどんどん出会ってしまう。

そうか、なじめていなかったかもしれない。いざ今高校の同級生に連絡とってみてよと言われたらそうすんなりと連絡を取れる人はなかなかいない。温かいお茶を飲んで心を落ち着かせて頭を空っぽにして目をつぶって無理やり指を送信ボタンに触れさせないと連絡は取れない。誕生日をお祝いするだとかそういう何かが一つ乗っかってこないと自分から連絡をすることなどできやしない。何か理由をつけないと俺は人にLINEの一つも送れない人間である。何の用もなく絡めるほどの気の許された友人はいない。この文を見てショックを受ける人はいるだろうか、自分は気を許した仲だと思っていたのにという人がいたらその人に対して失礼かもしれない。いや万が一、億が一の可能性もない。そもそも高校の同級生に連絡とってみてよと言ってくる奴がまずいない、誰なんだそいつは。

大学4年になって誰と連絡を取るにも、というかLINEやDMやらで人と会話するとき、無意識に敬語を使ってしまうことが多い。本当に無意識に指は敬語を打っている。自分としては当たり前のようなことであったのに、この間かなり久々に高校の同級生からLINEが来たとき、敬語やめろ笑、と送られてくるまで特に気が付かなかった。言われるまで特に気づいていないならもはや敬っちゃいない。もう敬語を使うことが癖になってしまっている。それだけ。

中学の同級生ではどうかというと、普通に名字の呼び捨てはできていてあまりさん付けで呼ぶ人というのはいない。これはおそらく物事の分別がつかない頃だったからできたことである。

とまあだらだらと色々言ってきたが要は俺はどう足掻こうが「人見知りである」ということだ。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。