毎日これ日記に書いとこうと思うことがあるのに何一つ書き残していない、そして忘れる

暇な時他人の日記を覗いて
「なんだこれクソつまんねえ書いて何の意味があんの」
と思いながらイライラすることがある。

自分の日記も例に漏れずクソみたいな内容のない日記しか書いていないけど自分の日記はいいんだよな、クソつまらないけど自分で見返してて全然面白いなって思う。意味わからないかもしれないけど自分のクソつまらない日記ってなんか面白いから。自分にべらぼうに甘すぎる。マックスコーヒーより甘い。今の例えも自分で面白いなって思いながら書いてる。激甘判定。甘いものの例えでマックスコーヒー出るの絶妙だな〜と思う。出ないでしょ。さっき見たつまらない日記書いてる人だったらあげパンとか言うんじゃない、知らないけど。あげパンはあげパンで自分の例えで一番最初に浮かんでたら面白いな〜って思ってる気がしてきた。甘すぎ自分に。

こうやって書いてるけど自分で考えた面白いと思うことって人に言うと全然スベるというか全然響かないことばかりで恐ろしい。面白いと思ったことを共有した瞬間の「…ぁーー」みたいな声にならないくらいの大きさで音を発しながら言葉を探している空気とか何度味わってもしんどいし慣れない。みんな無意識に自分の感覚を信じて生きているだろうけどそういう感覚の擦り合わせみたいなことを何度もやってそれが全然はまらなかった時きっと何も頭に浮かばなくなると思う。何言ってるかわからないだろうけど今そんな状態に陥ってる。自分でも何書いてるかわからなくなってきた。

今家の風呂場を工事してて使えないから今日は家から近いスーパー銭湯に行ってきて気づいたことなんだけど、もう1年以上マスクをするのが当たり前の生活を送ったことによって多くの人の前でマスクを外すのが少し恥ずかしくなっている。もしこのままずっとマスクをつけるのが当たり前の世の中になったらマスクで隠れてる部分が恥ずかしくなったりするんだろうななんて漠然と考えてはいたけどもう既に恥ずかしくなってきていてビビる。俺はもう大人になってるからいいけど今小学一年生の代とかそのくらいの子達はもしかしたら小中高と青春時代のほとんどを周りの友達がマスクをした状態で過ごすことになって、それが原因となってもはや鼻や口の概念が変わってくるんじゃないか。概念という表現で正しいのかはわからないが、もうマスクが下着のような感覚になって鼻や口を見た時に興奮する世代が生まれてしまうと思う。今日なんかマスクしながら風呂入ってる人までいた、下出してんのに。いやどこ隠してんだよ。まあ普通に考えてそれはシンプルに感染対策だな。変なこと考えて申し訳ない。まあでも流石に風呂までマスクはちょっとアレだと思うけど。

あと今週は自分には個性がなさすぎるということに直面した。個性というかキャラクターというか。人見知りとキャラクターがないことが相まって新しい環境や多くの人とコミュニケーションを取る場面で全く人に覚えてもらうことができてない。覚えてもらう努力をしたのかと言われたらそれまでだが、そんな事をしなくてもこちらの記憶には残っている人たちはやっぱりキャラクターが強いと感じるし羨ましい。人見知りすぎて初めましての人達と会話をすることができていないのが一番の原因であるのはわかっているが、無理だから、そんな自分から知らない人と仲良くなろうとするなんてこと今まで一度もできた試しがないから。人見知り陰キャの地獄みたいな性格でもう生きてきちゃってるから。出来ないから。中一も高一も棒に振ってるから。俺がどうにか人と話せるようになるのには二年目からだから。そして最悪なのは今のその環境が二年続くかどうかはわからないということ。今関わっている人たちにはずっと最後のお別れまでいたのかいなかったのか記憶に残らないままかもしれない。今までの22年間で誰かの記憶に残ってんのかな。
誰かの記憶に残れる人生を歩みたい。


付け足し
今投稿したらこの記事で100本目ですって出た。こんなクソみたいな日記100回も書いてるの急に恥ずかしいな。いやまた書くけど。そんで毎回noteの外部から、というかインスタのリンクから見にきてハートつけてくれてる人が数人だけいるけどそれ嬉しいです。誰だかわかんないから感謝は伝えられないんだけど。どうぞ伝わってください。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。