結婚したけど、結局「結婚」て何か分かってない気がした話
気付けば入籍してそろそろ2年が経とうとしている。
喧嘩する度に離婚してやる!と憤ったりそもそも結婚するんじゃなかった!と思うこと無きにしもあらず、ではあるものの概ね楽しく愉快な結婚生活を送っている。
そんな私は今、「結婚したけど、いつ何を以て結婚という状態ステータスが自分の中で確固たるものになったんだろうなぁ」ということをぼんやり考えることが増えた。
人並みに結婚に憧れたり、過去の恋人と別れる度に「もうこれは一生独身の方が気楽なのでは」と悟ったり、そこまで長くはない人生でもそれなりに色々考えたことも。その過程で少なからず自分の考えもひねくれたし、結婚しない選択・幸せという言葉があるように、結婚することだけが全てじゃないという風潮に世の中も浸透してきた。それに、入籍しなくともパートナーとして過ごしていくこともここ数年でだいぶ受け入れられつつあるような空気感がする。今この日本で、結婚した自分と自分を取り巻く環境を基に少し考えてみようと思ったのです。
いつ私は「結婚した」のか
それは果たしてプロポーズされて/して了承した/された瞬間なのか、お互いの両親に結婚の挨拶を済ませた瞬間なのか、顔合わせを完了した瞬間なのか、入籍した瞬間なのか、計画していた人は同居を始めた瞬間なのか。
ぶっちゃけこの定義を厳密にする必要があるとは思わない。だって面倒くさいし、例外は山の如く出てくることでしょう。みんな違って当たり前。
じゃあ私にとって、私はいつ結婚したのか。これがとてもぼんやりしている。
入籍した後しばらくの間、友人知人から「結婚して何が変わった?」と聞かれることがよくあったけど、これがなかなか難しい問いだった。分かりやすい変化としては名字の変更と引越しが主に挙げられるが、相手はそんなこと分かりきっている。そうじゃなくて、私の気持ちとして何が変わったかを問われていた。そして正直に言えば、「心境的には何も変わらなかった」。
だってずっと付き合っていた相手が急に今日から夫ですよーと言われたところで、昭和の家長制度などとっくに滅びたゆとり世代の私が突然半歩後ろをしずしずとついて行くなんてことはなく、いつも通り隣りをドカドカと大股で歩いている。もともと尽くすタイプではないから、夫となったあなたに誠心誠意尽くしますというマインドもこれっぽっちもない。やらなきゃいけないことはやれる人がやる。これ鉄則。一緒に過ごす時間は増えたけど、いつも通りアホなやり取りをしていつも通り楽しく一日を過ごしている。
でも、気付きがあった。それは結婚して1年を過ぎたくらいのある日、自分の実家に帰った時だった。私は結婚するまでずっと実家でぬくぬくと暮らしていたため、結婚を機に実家を出た。いつの頃からか実家に帰ればVIP対応を受けるようになり(紅茶を進んで淹れてくれたり夕飯を上げ膳据え膳してくれるようになったとかだけどこりゃもう一大事や!と思ったものです)、日々の生活のあれやこれを心配して色々聞いてくるようになったけど、それは実家を出た親子のあるあるで子としては恵まれているなぁと感謝を新たにする風景だと思う。でもその延長で、これはどこにしまってあるんだっけと昔は覚えていたことも聞かなきゃ分からなくなった時、両親と私の生活様式がどんどん異なってきていることを実感し、「あぁ私は両親の元を離れ夫との新しい生活を確立しつつあるんだな」と気が付いた。
きっと親元を離れて一人暮らしを始めても大なり小なり生活様式の変化はあるんだと思う。私の場合はそれが結婚生活バージョンとなり変化をもたらした。住む家が変わり、数年前までは名前も顔も知らない他人だった人間と共同生活を始めると、色んな変化がある。そこで揉めたり困ったり考え込んだりしながら育ててきた新しい生活スタイルは、今まで過ごしてきた実家でのそれとは大きく異なっていく。そういえばおかんはこうやってたね、私はこうしてるよ、と情報交換までするようになった頃、私は結婚したんだとハッキリ感じた気がする。
いつ私は「既婚者」として見られる者になったのか
これは入籍したその日からでしょ、と言い切ってしまってもいいような気がするけど、ちょっともう一歩踏み込んでみても面白いかと思った。
我々は結婚しましょーねとなってからものんびりしていたので、入籍してしばらくしてから結婚指輪を作成した。婚約指輪はいらないと付き合っていた頃から私は言っていたので、しばらく左手薬指には何もなかった。休日のデートなどではペアリングをつけていたもののマインド的にも結婚という心構えになってはいなかったから、やってること(結婚を決心してからの色んなこと)と気持ちがちぐはぐなまま日々は流れていった。
ここで当事者以上のスピードで結婚という変化に順応したのは、我々の周りの人たちだった。友人は私の結婚祝いは何がいいかと結婚報告をするや否やLINEを送ってきてくれて、別にいらんよと気持ちをありがたく頂戴していった。その中でもひっそりと結婚祝いを用意してくれて、一緒に飲んだ帰りにお店の最寄り駅のコインロッカーに予め預けておいたプレゼントを渡してくれた猛者友人がいた。ものすごく嬉しかったし、プレゼントがまた便利なお鍋で本当に重宝していますありがとう。
会社に入籍した旨を報告すればするすると手続きが進み、会社では旧姓を使用できるようスムーズに対応してくれた。不動産屋さんも、引越屋さんも私を「奥様」と呼び、順応していない私は数テンポ遅れて反応する有様だった。気の利いた?人なんて、婚約状態(結婚しましょーねとなったけど入籍には至ってない状態)でも私を奥様と呼び、周りの人々の順応スピードは凄まじいものがあった。
つまり、周りの人は「あいつ結婚する/したんか」と匂いを感じ取るとすんなり受け入れてくれる。もうその瞬間から私は既婚者だった。きっとそのスピード感は、結婚というイベントを喜ばしいものと判断し祝う(というポーズを取るおもてなしを含む)ことなんだと感じた。ありがとう。
結婚したってドラマは起こらない
題名にもしたように、じゃあ「結婚」て何なんじゃということなんだけど、私なりの結論としては結局「法的に入籍の手続きを済ませたこと」と、「私が自分で定めたパートナーと人生の新しいルートを開拓し始めたことを、自分と周りの人々へ宣言すること」なんじゃなかろうかと考えている。ただ、この状態が自分の腑にすとんと落ちてくるまでに時間がかかるという点で、はて結婚した気になってるんだけど実際どうなんだろうか…とプチ混乱をきたしていたのが今までの私なんだろうなと分析する。先に挙げたような色んな変化を気付いたり気付かない内に迎えて、プチ混乱が収まったり悟りがあったりして、ふと振り返れば私は夫と夫婦になったんだなぁと今思う。変化といってもドラマになったり漫画や映画にできるような劇的ビフォアフター的な変化は何もなかった。婚姻届を提出したその瞬間からバラ色の人生が展開されたり、愛憎渦巻く昼ドラ的ワールドに身を投じたなんてこともない。盛り上がりもなければオチもない、惚気にすらなるのか怪しい、そんなことばかりの小さな変化の積み重ね。でも気付けば結婚前とは何もかもが変わったように感じる。
きっとこれからも何かと色々あるんだろうな。ぼちぼちやっていきましょう。
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