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嬉しいのに切なくて、涙が出る理由

タイムラインに流れてきた、こちらのツイート。
何気なく読んでみたら、どうしても気持ちをまとめたくなりました。

哺乳瓶拒否、母乳が出続けたこともあり完全母乳で成長した娘。
ちょうど娘は9ヶ月になったばかりの5月14日に、あまりにもあっさりと、なんだか見過ごしてしまいそうなくらいのさり気なさで、卒乳した。

断乳の予定はなかったものの、できれば執着する前になるべく手がかからずに卒乳して欲しい、女の子だから早いんじゃない、いやでも哺乳瓶はめっちゃ嫌がるしこれだけおっぱい好きだからなあと、夫と繰り返し話していた。
断乳でも卒乳でもきっと大変なんだろうなあ、なんかあんまり苦労したくないし、泣かれるのも辛いし、正直これ以上自分の時間も取られたくない。
でもまあ、まだまだ先のことだし、遠いいつかの話しかなと。

離乳食が始まったのをきっかけに、きっちり4時間おきに母乳を欲しがっていたリズムが崩れ、母と子2人で、毎日どうリズムを作ったらいいのか、毎日迷いながら過ごしていた。
案外飲ませてみると、すぐにストロー飲みをマスターしたことで、お茶や白湯が飲めるようになってさらに戸惑う日々。

まあ、離せるのものなら離していくか!と、もうどこかの浮かんでいる風船くらいふわふわと気軽に、卒乳を決めた。
執着する前に卒乳してくれるなんてむしろラッキーじゃん、なんて親孝行な子だろう、と思っていた。

娘はわたしの思いを知ってか知らずか、哺乳瓶やおしゃぶりは断固拒否だったのに、ストローで飲めるようになった途端、母乳を欲しがることはほとんどなく、こんなスムーズでいいのかと驚くくらい簡単に日中は飲まなくなった。
それが8ヶ月になった、5月上旬だったと思う。

そうは言っても、寝る前は「おっぱい!」の主張をすることも多かった。
入眠=授乳、はなかなかしぶとそうだぞ、のちのち寝る前に服とか勝手にめくられるやつ?それはちょっと嫌かも、まずネントレをしないかんか、と恐れながら、まあ赤ちゃんなんてそんなものだよね〜、と割とどっしり構えて、長期戦になることを覚悟しながらもどこか安心していた。まだまだ娘は赤ちゃんだしまあ当然だと。

ある夜、うまくお昼寝できずに夕方からずっとぐずり続け、寝かしつけも上手くいかず、おっぱいを欲しがっていて飲ませれば寝ることもわかっていながら、なんとか飲まずに寝かしつけたくて、ちょっとイライラしながら授乳するかどうか迷っていた。

その日は5月14日、夫が母の日だから、とカーネーションとたくさん好きなお菓子を買ってきてくれていて、久しぶりに夫婦2人で話す時間も欲しくて、でも授乳で寝かすのはしたくなくて。

結局、張りに張りまくったおっぱいをごくごく飲んで、娘は寝た。
湿度が高く暑い夜で、わたしはもうパジャマのTシャツを脱いで、上半身裸で授乳していた。
飲んでいると片方からぼたぼた母乳が垂れてきて、授乳パッドで受けながら、またベタベタするじゃん、とか、外側の張りがひどくてなんとか乳腺炎は回避したい、とか思っていた気がする。もしかしたら、早く寝てくれよと思っていたかも。

じっとりとした空気や、汗ばんだ肌の感覚は覚えているのに、娘がどんな顔をして飲んでいたのか、飲みながら寝たのか、飲み終わってそっと寝かしたのか、それすらも全然思い出せない。

ぐずって泣いたあとで、ようやく飲める、と、たぶん喉を鳴らしてごくごく飲んだんだろう。いつも通り、わたしは頭だけ支えてもう片方の手でスマホを持って、娘は口元に両手を添えて、眉を赤くして、目尻に涙を浮かべながら、飲んでたんだろう。

まさか、あれが最後の授乳になるなんて、思いもしなかった。

わたしにとって、卒乳はそこまで大きな区切りにはならず、グラデーションで少しずつ色が薄くなって変わってきているような、そんな感覚だった。
だから、大して深く考えることもしなかった。考え込む時間もなかった、とも言える。

一度、飲むのかな?と思ってライトな気持ちで、娘の口元に近づけてみたものの、以前は大慌てで吸い付こうとしていたのに、全く口を開けようとせずに顔を背けられた。
あんなに大急ぎで、見えた瞬間、口を開けて必死に飲もうとしていたのに、飲まなかった。

もう、本当に、いらなくなったんだな、とそのとき初めて、少し寂しい気持ちが湧いてきた。
夫にも話してみたものの、やっぱり母の特権だったからか、伝わらなくて、どこか心の中の凹んだ谷底に、ぽいっと放り投げられて終わった。
ちょっと寂しいな、まあでもこれも成長か〜、くらいの気安さ。

成長していく息子の背中を押して、パッパイを忘れさせるように必死で絵本をめくったのは自分なのに、ごまかすように楽しい歌を口ずさんで気をそらしたのは自分なのに、いざ飲まずに寝てしまうと寂しくて、寝かしつけを終えて、ソファでひとり、しくしく泣いた。夫は、その寂しさには気づいてくれず、授乳がいかに母だけのものであるかも思い知って、その特権を失ったこともまた、さみしかった。いま、まさに、彼は大きくなるための階段をのぼっているところで、あともう一段のぼってしまうと、二度とおっぱいを飲むことはなくなるのだ、とわかっていながら、おしりを支え、上へと持ち上げる。この先も、さみしいな、行かないで、と思いながら、それを伝えずに、笑顔で背中を押す瞬間が、たくさん来るのだろう。

涙の卒乳日記。バイバイ「パッパイ」。|夏生さえり

この部分を読んで、ようやく、ようやく分かった。
娘がにこっと笑って新しいことが何かできるたびに、その成長がとっても嬉しいのに、なぜか涙が出そうになる理由が。それはきっと、心の中では少しずつ、背中を押す瞬間が近づいていることを、ひしひしと感じていたから。もう、二度と戻らない時間を過ごしていることを、本当は分かっているから。
娘の口からはもう、あの甘い匂いはしなくなった。大好きだったな、あの匂い。

形にならない儚いおぼろげなふわふわが、言葉としての輪郭をまとってようやく姿を現したような、そんな感じがした。わたしの中に、ずっとこの気持ちはあったのだ。

今の時間がいつか終わりがくることを、わたしは誰よりもきっと、分かっていて、そのタイムリミットをいつも感じている。きっと、これは病院で働いて、どこかの誰かが、この世から離れる瞬間を見てきたから。ある日突然、始まったものは終わる。それを分かっている。

わたしはこれからも、娘のお尻を持ち上げ、少しずつ階段を登るお手伝いをする。そうして、そのうち段々とひとりで登れるようになって、気がついたら階段を軽やかに駆け上がっていって、いつかは自分からわたしの手を離すんだろう。そのときにきっと、わたしはまた泣くんだろうな。

この場を借りて、わたしもさよならを言わせてください。
さよなら、ぱい。とっても幸せな時間だったよ。ありがとう。
また一段階段を登った娘へ、おめでとう。


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