『発達凸凹のわが子が一番リラックスできる育ち方 ~約12年間のホームエデュケーションを振り返って~』 その1
わが家の三人の子どもたちは、現在 高1・中2・小5です。子どもたち全員に「学校にまったく行かない時期」があります。2011年からホームエデュケーション(家庭を拠点とした教育)を始めましたが、中2と小5の二人が今でも家庭を拠点にして育っています。
【ホームエデュケーションを始めた理由・継続している理由】
2011年から2023年現在に至るまで、約12年間ホームエデュケーションを継続している理由は複数あります。
(1)2011年当時(子どもたちは5歳・3歳・0歳)、小さなオルタナティブスクール『共育ステーション 地球の家』の設立準備中だった。子どもの生まれ持った力を信じて、学びと育ちの環境を調整していくスタイルの教育を小学校以降も続けていくためにはどうしたら良いかと模索していて、最初は「自宅保育」として始めた。
(2)真ん中の子ども(現在中2)は、「不安感がとても強い、聴覚過敏、嗅覚過敏、集団が苦手、納得できないことには取り組まない、算数障害、HSC(人一倍敏感な子)」という特性があり、小学校の支援級にも合わず、小1の1学期から五月雨登校⇒オルタナティブスクール+家庭。中学校も支援級に入ったが、中1の1学期は五月雨登校⇒不登校。感覚過敏のある本人にとって、一番リラックスできる環境が「家庭」。
(3)一番下の子ども(現在小5)は「多動症、睡眠障害、納得できないことは取り組まない、長考型で一斉授業には合わない、思っていることを言語化するのが苦手でカンシャクを起こす、書字障害」という特性がある。小1の2学期から五月雨登校⇒不登校⇒現在は「週1回登校+週1回オルタナティブスクール+家庭」というスタイルに落ち着いている。
【学校に行きたくない子どもたちの理由】
三人の子どもたちの「学校に行きたくない」理由はそれぞれ異なりました。
■上の子(高1)・・・(小1当時)「学校のプールのシャワーが冷たすぎて嫌だ」
⇒1か月間不登校⇒その後自分の意思で再登校。
■真ん中の子(中2)・・・(6歳当時)就学時健康診断の際に、当時はかなり強い不安感があり母子分離がまったくできなかったが、健康診断の最後に先生に無理やり母親から引き離されて、廊下を引きずられた体験から、先生と学校に対して強い不信感を持った。
(小1当時)別の小学校の支援級に入ったが、聴覚過敏で「学校のチャイムの音や、みんなの大きな声で耳が痛い」「大勢の中にいるのが怖くて嫌だ」
⇒五月雨登校
(小2当時)「先生は怒ってばかりだし、男子も騒いでばかり。勉強は家でやればいい」
⇒さらに学校から足が遠のき、小3以降は家庭とオルタナティブスクールを中心にして過ごすことを学校に伝える
■下の子(小5)・・・(小1当時)「答えがわかっているのに、じっと座って聞いてなくちゃいけないのが嫌だ」「自分も家で勉強したい」
⇒小1~小3は、マンツーマン指導の「ことばの教室」や体育の授業に通う
⇒小4から支援級へ週1回程度通う
【子育てで一番辛かった時期】
今までの子育てで一番辛かったのは、真ん中の子が小1だった頃の1学期でした。その時期は、子どもは毎朝大泣きしながら「学校に行きたくない」と言い、それをなだめすかしてわたしも一緒に登校し、教室の中まで同行していました。
上の子には「小学校に行ってもいいし、お母さんがやっているスクールに行ってもいいし、あなたが選んでいいよ」と言えたのですが、発達凸凹の真ん中の子に対してはそのセリフは言えませんでした。
「発達凸凹のある子どもを、学校に行かせずに自分だけの責任で育てて行けるのだろうか?」
「専門家の支援級の先生にお任せした方が良いのかもしれない?」
とゆらゆら心が揺れていました。心が揺れすぎて、不安で、気を紛らわせるために飲めもしないお酒を飲んでいたのがこの時期のわたしです。
当時、先生からの善意の「登校促し」は本当に辛かったです。わが子は行きたくないと大泣きをし、何とか頑張って久しぶりに登校しても学校ではガチガチに緊張している・・・そんな様子なのに先生は
「(もっと頻繁に)学校に来れたらいいですね」
と言います。そしてしばらくお休みしていても、電話口や家庭訪問での
「早く学校に戻れたらいいですね」
という先生の言葉はストレス以外の何物でもありませんでした。
その後、だんだんと時間をかけて
「この子が笑顔でリラックスして過ごせるのは、学校ではない他の場所だ」「わたしは教育の専門家ではないけれど、この子の専門家になればいい」
と腹落ちしていきました。
そして、小3の4月に校長先生に次のような趣旨の手紙を書きました。
『いつも温かく接して下さりありがとうございます。子どもの心が、自然に学校に向くまでの間は、子どもが安心できる家庭とフリースクールで育てていきたいと思います。もしも、子どもの心が学校に向いたそのときは、またお願いします。いつも、先生方は登校促しをしてくださっていますが、それがわたしたち親子のプレッシャーになっておりますので、今後は、登校を促す言葉がけは一切不要です』
この手紙を校長先生にお渡ししたことで、約2年間の「心ユラユラ時期」を終えて、その後は晴れ晴れした気持ちで「家庭を拠点に子どもを育てる」ことを続けてきました。
【約12年間のホームエデュケーション振り返って】
ホームエデュケーションを始めた当時は5歳・3歳・0歳だった子どもたちも、今は高1・中2・小5です。中2・小5の二人は、すべての時間を家庭で過ごしているわけでなく、わたしが仲間と運営している小さなオルタナティブスクール『共育ステーション 地球の家』でグループ交流をしたり、SNSで知り合った同じ趣味のお友達と出かけたりしています。
わが家の発達凸凹&HSCの子どもたちは、学校の支援級にも放課後等デイサービス(障害や発達特性のある子どもたちのための通所施設)にも合いませんでした。でも、家庭や『共育ステーション 地球の家』では笑顔で過ごせています。
「家庭を拠点にして育っても大丈夫。リラックスして過ごせる日々と安心感が、未来の土台になる」と思いながら、今日もゆるゆるとホームエデュケーションをしています。
くまがい あきこ
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