【日記】 今後都や国がColabo支援を再開するかどうかで意図的排除かが分かる/230422土

🐧Colabo問題で注目しているのは、今後省庁や都が支援を再開するかどうかという点。もし都や厚労省が女性支援事業保護を言いながら、Colaboを排除するなら、それは意図的排除である。


政治権力は時々このようなアリバイづくりをする。現代はポリコレの厳しい時代だから、社会的正義のあって社会に知られた事業を排除するのは、批判される。

そのため排除すると決めたら表向き真っ当な方針だけ打ち出して、運用面ではねるのである。

民主国家のシステムがありながら、甚だ私的で時に身勝手な理由で排除するこのようなやり口は存在する。民間の既得者層も似たようなことをするだろう。

例えば統一教会問題もそうだし、ジャニーズ問題もそう。2010年代では大手企業のセクハラ問題もそう。

声を上げる人はいたが、警察もマスコミも行政も取り上げない。そういうことはある。

例えば私の案件もそうだ。各所に根回ししているが、公に認めるとか、事件化するとか、拾い上げるとかそういうことはなされていない。

いつの時代も、既得者層は傲慢で良く深く身勝手なものだ。現代のようにポリコレが厳しいと、恣意的運用をするのにより巧妙なやり口が必要になる。

見えないところで業界に噂を撒いたり、レッテルを貼ったりして排除する。慣習や態度や能力のせいにする。民衆暴力市民のように、加害がありながら「嫌われている」と吹聴し、好き嫌いの問題にする。

ポリコレ時代のこれら不都合潰しは、しばしば巧妙に行われる。指摘しなければ決して可視化しない。

行政は訳のわからない市民への対応で大変という。確かしそういう苦労はあるかもしれないが、違う場面では自らの社会的責務や職業倫理に反して、既得者の私的事情に迎合して、実行役を務めることもある。自分だけ助かるために、被害者や大して瑕疵のないものを切り捨てることもする。

社会の多くの人はそういうところもよく見るべきだ。

今後都がColaboをどうするかは、注目点であると思う。


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