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物書きを目指すきっかけ。

高校で演劇部に入った。小説を読んで半ばミーハーのような形で。役者志望だった。

高校演劇は大会がある。

「え、演劇部にも大会があるの?」とよく言われる。あるよ。なんなら中学の演劇部にもあるらしいよ。「何やんの?」とも言われる。演劇だよ。何が悲しくて別のことしなきゃいけないのよ。

大会や、自主公演で上演する作品は、学校によって作り方が違う。既成のものをそのまま使ったり、許可を得てある程度脚色を付けたり。「生徒創作」ないし「顧問創作」と言って、部員や顧問が一から書き上げるところもある。演出も生徒がつけるか顧問がつけるか。これはどっちか。私の所属していた演劇部は、大会では「生徒創作」。自主公演などは創作だったり既成作品をやったり、折衷形式。

大会作品の脚本は、部員のうち有志が書く。複数名が書いてくるので当然競合になる。そこでそれぞれ本を読み(作者は伏せておく)、投票して平均得点の高い作品を上演する。平均得点の高い、ってのがちょっとわかりにくいんだけど。秋と春、2回大会があったから脚本募集も年に最低2回。NHKのEテレで9月くらいにやる高校演劇の全国大会まで繋がるのは秋。春は学校の所属する地区のみでやる。

先述の通り役者志望で演劇部に入ったけど、「折角なら」ということで春の大会向けのものを1年・2年の時に書いた。

1年春、僅差で敗退。2年秋、ボロ負け。自分でも酷い出来だった。

2年春、ようやく選ばれた。

アリがちな青春恋愛もの。私の無い想像力とボキャブラリーを駆使した結果。触ると湿ってるけど絞っても何も出てこない雑巾みたいな。これは今でもそうだけど。

意外と自分が書いた文章をまじまじと読まれるってのはかなり恥ずかしい。小学生の時にこっそり書いた日記を堂々と読まれる感じ。それが音読となれば…死にたくなる。自分の稚拙な国語力とか微妙なつじつまの合わなさがハッキリわかる。

それでも、作品を書くというのは楽しい。ここをこうしたらどうなるか、こういうシーンを作ったらいいな(こういうのをやりたいとか)、意外と料理に近いものを感じる。突き詰めるときりがない。書き直しが数回あったが「こんなに楽しいことがあったのか!」と喜びながら書いていた。

余談。当時は演劇部脚本・役者、外部公演役者を掛け持ちしていたので、喜び半分、苦労半分。ってか気持ち的には6:4くらい。結構大変だった。閑話休題。

公演はどうだったかと言えば…悔いしか残らない。ここに書き出すとそれだけで軽く1000字とか行きかねないので割愛するが、とてももどかしい結果。手違いやらハプニングやら。高校演劇は(大会において)60分の時間制限があるんだけど、肝心の大会本番で4分オーバー。惨敗。あってはならない事。

学校の稽古で使ってる教室でもレイアウト次第で大会本番と(ほぼ)同じ大きさで出来たのに、それを何回も言ったのに、聞き入れられなかったばかりに本番でボロボロ。悔しい。ってかふざけんな。だから言っただろ。と演出に言いたかったがぐっとこらえた。言ってもどうにかなるもんじゃ無かったから。大会の日は、電車で帰った方がうんと早いのに、途中の駅まで電車なら25分位で帰れるとこをバスで1時間ちょっとかけて帰ってきた。バスの中で文章に起こしたらとんでもないことになりそうな自己嫌悪といら立ちを抱えながら。友達と一緒に帰っても良かったけど、一緒に帰ってたらものすごく荒れてただろう。今考えれば安全な判断。

春大会作品は当時大会の他に出るのも併せて3公演。うまく行ったのは最後にやった新入生歓迎公演だけ。それも一筋縄じゃ行かなかったけど。

結局、2年経っても悔しさはまだ燻ってる。火は最近小さくなってたけど、これを書いていたら、自分で火の手を抑えたのに、バカみたいに薪をくべてしまった。またボーボー燃えだした。

脚本やものを書く楽しさ、いち高校時代の悔しさ。これらが合わさって物書きを目指している。悔しさは持ち込むべきではないことだと思うけど、悔しさがあるから意地になっているんだと思う。楽しさだけだったらとっくに冷めてるだろう。

まったく上がらない文章力と、いつまで経っても潤わない想像力を養いながら、いばらの道を突き進む。

#部活の思い出

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