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ミニストップのあの子のように私はなりたかった

日頃お世話になっているコンビニエンスストア。

スーパーで忘れたものをちょっと買い足したり、仕事の訪問業務中におトイレをかりたり、私の生活にかかせないものだ。

そんな数あるコンビニの中で、私は気づけばふらりとミニストップに立ち寄ってしまう時期があった。

目的はこれ。

「ダブル蜜いもソフト」

私と私の娘が一時期これにはまっていた。

この「熱い・冷たい」のコンビに私は異常に弱い。

私が代表的に好きなのは、熱々のアップルパイと冷え冷えのアイスの組み合わせである。
遡ること私が小学生の頃。
家族と訪れたファミレスで出会ったこのメニューを初めて食べた時に、私の心はぶるぶると震えた。同級生よりひとまわり大きい私の体も同時にふるふると小刻みに震えていたかもしれない。
「世の中にはこんなにおいしい食べ物があるのか!」
アップルパイアイスにひたすら感動していた幼い私は、他にも「天ぷらアイス」という衝撃的なメニューとも出会った。以後、私はこの熱い・冷たいコンビ商品のとりこになる。

蜜いもはしっとりと柔らかくとろけるように濃厚。いも本来のほどよい甘さと、大好きなミニストップのソフトクリームとともに口に入れた時のあの多幸感。
それはまさに極楽浄土であり、そして私ははちみつを手に入れた時のプーさんのように、うふうふ気持ち悪い笑みを思わず浮かべてしまうのだ。

私の娘もこの商品が好きなので、娘にも購入しようとミニストップの駐車場に車を停めた。迷うことなくレジに向かう。

そこで「よ!久しぶり」と声をかけられる。

目の前には私の同級生がいる。

以前noteの記事にも書いたが、私の同級生がこのコンビニで働いている。

彼女とは小中学校を共にした。

名前を仮に「おかちゃん」とする。

おかちゃんはちっとも昔と変わっていない。
変わったとしたら少し体型がほっそりしたくらいだ。
彼女は当時は標準体型より少しふっくらしていた。和風な面立ちの子で、例えて言うなら、目尻が下がっている感じがおかめさんに似ている。10代前半の女性には大変失礼だが、割烹着が似合いそうでもあった。けれどもおかちゃんにこの事を伝えたとしても「ははー笑えるわ」と返してくれそうなおおらかさを彼女は持っていた。

私が中学生の頃は「アムラー」と言って、安室奈美恵さんに憧れる子が多く、ルーズソックスを履き始めた子をちらほら見かけるようになった。

また、私の地元は今も昔もヤンキー文化が根強く、ヤンキーやらマイルドヤンキーなどが数多く存在しており、少しワルイ感じの子の方が男女共に人気があった。

また、それに当てはまらないまわりの子たちも、トレンディドラマと言われるような大人の恋愛ドラマを見て、お化粧をしてみたり、〇〇が好き、先輩と付き合い始めたといった、恋愛沙汰のにおいがぷんぷんしている中で、私はそんなノリに完全に乗れない「どんくさ女子」として確固たる地位を保っていた。

私は私と同じように今で言う「陽キャ」にも「リア充」にもなれないようなイケてない友達たちと、日頃読んでいる漫画の話をしたり、友達の家に居座ってゲームをしまくったり、小室哲哉ファミリーやGLAY、ミスチルなどのメジャーではない音楽を聴いたり(私はUAが好きだったし、友達はさだまさしの関白宣言にはまって何度もラジカセで聞かされた)よくわからない私なりには楽しい学生生活を送っていたが、その中の1人のメンバーがおかちゃんだった。

おかちゃんはフラットな人である。

どんな人にも感情を荒立てない。
そして、彼女は不思議とどんな人にも話しかけられた。
どのグループの友達とも彼女はいつもケタケタ笑いあって話している姿をよく見かけた。

彼女を思い出す時、私は彼女のいたずらっぽい表情をよく思い出す。ちょっとした冗談を低いトーンでぼそっとつぶやく。冗談の内容は過激なものとか、人を小馬鹿にするようなものでもない。日常のクスッと笑える話を彼女なりの視点で見つけては、静かに近寄ってきて、低い声でこそこそっと話して、お互いににんまりする瞬間が私はとても好きだった。

今思えば私は彼女の在り方が好きだった。


嫉妬や妬みというものは、どの世代にもある。

大人には大人の

子供には子供の

それぞれの「うらやましい」があって

その「うらやましい」は時には気持ちがねじれてしまって攻撃性をおびたり、自分の正しさという枠の中で整理されて相手にぶつけられたりして、本人ですら自覚し得ないような数々の「うらやましい」が、矢印のように、色々な方向で進んで、色々な人間につきささる。

この人は私よりうまくないとか

この人は私よりかわいいとか

この人は私より人気があるなど

私たちはどうしても自己と他者の比較をしてしまう。

さるかに合戦も真っ青のマウント合戦。強者は強者のグループ内での弱者がいたり、弱者のグループの一番を必死で取ろうとする子もいる。

私だって卑屈になることも、人を羨む気持ちもたくさんあった。上から圧をかけるような態度に悔しくて悲しくて、眠れなかったり、同級生たちを憎むような気持ちもたくさんあったと思う。

おかちゃんは

私にとっての「凪」だった。

彼女は「うらやましい」にとらわれていない人の1人だった。

軽やかで平ら。

私は彼女がいると安心した。

班別の行動などで、彼女が同じグループだとほっとしている自分に気づいた。 

比較をしなくていい楽な自分がそこにいた。

それはおかちゃんが私と自分を比較して変に上下関係を押し付けてこないからだと感じていた。

「くまちゃん最近どーよ?」

にやっといたずらっぽい顔で私を見ているおかちゃんは、後に私と違う高校に進学した。

時が経って成人式の日。

私は同級生たちと久しぶりの再会を楽しんでいた。その一部の同級生たちがボソボソっとあることを話していた。

「信じられない、早くない?だってまだ私たち20だよ」

「まさか、あの子がねー!大してかわいくもないのに旦那さんどんな人なんだか」

「今楽しい時期なのに、子持ちなんて大変じゃんかね。やばくね?」

噂はすぐに流れてくる。

『あのおかちゃんが自分の子供を連れて式に参加している』

私は友達に囲まれているおかちゃんを探し出した。おかちゃんは中学の頃と変わらない笑顔で「久しぶり!」と挨拶をしてくれた。

あの頃と変わったのは、この時彼女がまだ生まれて間もない赤ちゃんを抱っこしていたことだ。

赤ちゃんは小さくて、あたたかくて、ミルクの匂いがして、ふわふわとやわらかかった。

私はとても嬉しくなって「お母さんだね。かわいいね」と彼女に伝えた。

先ほどまで彼女のことを変に悪く言っていた人たちのことを思い返すと私は嫌な気持ちになった。

しかし、おかちゃんの変わらない凪の世界と、どしっと地に足のついたしっかりとした気持ちを感じたので、私は安心してその場を後にした。


思い返しても彼女はとても美しく素敵だった。


「くまちゃん好きだね〜これで今日のラストだよ」

あれから二十年以上経った今、目の前にいるおかちゃんは手早く蜜いもソフトを2個私に作ってくれた。

彼女は子沢山のお母さんになった。時々街中で楽しそうにお子さんと歩いている姿を見かけることがある。

最近友達に「くまさんは嫉妬したり羨んだりとかいう気持ちがあまりないでしょ」と言われることがあった。

うらやましいは私にもある。

悔しいもたくさんある。

けれども、私はおかちゃんのように軽やかに在りたい。


悔しい時は悔しいと素直に相手に言いたい。


そしてその気持ちをバネにして

私は自分を鍛錬したい。

だってその方がかっこいいと私は思っているから。

私は私なりにかっこつけているし、なるべくかっこよく在りたいのだ。


そしておかちゃんのように逆にうらやましさを違った形でぶつけられたとしても

凪のように。

穏やかに。


友達とにんまりと楽しく笑っていたい。


蜜いもソフトは甘かった。


ミニストップに行くと、私はまた話しかけられる。

「よ、どうよ?」

おかちゃんは今日も変わらずそこにいてくれるのだ。






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