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「失敗」を取り扱う

昨日の内容と少し似ている部分がありますが、今日は自分がどのように若い人と関わっていくかというお話。

私が職場の新人さんや学生さんや自分の子ども達と共にいる時に何となく心がけていることがあります。

なるべく自分が失敗しているところを見せる

さらっと書いているけど、これは自分がつらい。

けっこう恥ずかしい。

自己効力感がだだ下がる。

ひどいときはバカにされる。

でもやる。

バカにされても本当にバカだからいいんです(ひらきなおり)


物事がうまくすすまない時にいわゆる「失敗というできごと」をなるべく共有するようにしています。

まず、私の思考過程を説明します。「こういうことが予測された。仮説をもとにすすめてみた。結果はこうだった。」

人間は大なり小なり必ず失敗をします。全部が全部うまくいくはずがないんです。でも、そのことを忘れがちです。自分が失敗をした時に他の人は全てをうまくやっているような気がしてしまいます。でも決してそんなことはありません。

まず、大人だって先輩だって「チャレンジしてみて失敗する事があるんだな〜」という認識をもってもらいたいんです。

そして大事なのはそこからの態度。

どうやって「失敗」というものを取り扱っていくのかを見せる。

そしてそれを一緒に考えてもらう。

「あなただったらどうする?」

なぜ、一緒に考えてもらうかというと、若い人の意見を聞きたいというのは理由としては無い訳ではないのですが、それが主軸ではなく。

「失敗」をとり扱う一つの手段。「人に頼る」という手段をあえて自分がやってみせます。

相手に「助けて」が言えるようになる

この「助けて」を言えるということは、生きていく上ですごく大事だと思います。ささいな「助けて」が言えない積み重ねが身をほろぼすことになってしまう。「失敗」の行方が「自殺」になってしまうとまずいですよね。

だから大人でも「失敗」して「人に頼っているんだ」というのを見てもらいたいんです。

そして、どのようにきびしい崖をのぼっていくのか。深い海をもぐっていくのか。こごえる吹雪を通りぬけていくのか。

パートナーの力を得てそれらに立ち向かっていけるのか。

あるいはそこからもう少し策を練るのか。

はたまた逃げてしまうのか。

逃げてしまうのもアリだと思うんです。

本当に立ちゆかないことは、自分がだめになってしまう前に撤収してしまった方がいいですよね。撤収しながら心の片隅には置いておきます。きつい時は見えないようにそっとしておく。でもなくなっちゃう訳ではない。いつでも気配はある。

そしてふたたびうまく取り扱えるようになる時がくれば、またチャレンジしたらいいと思うんです。

で、こんなことを続けていくと

新人さん、学生さん、子ども達は、私やあるいは他の誰かに相談してくれるようになります。

中間管理職としては若い人たちにわからないことや失敗を隠されるのが一番つらいですよね。

失敗を報告してもらえるとリスク管理にもつながると思います。

だから困ったときは頼ってほしいんです。巻き込んでもらいたい。

そして、こちらは失敗をなるべく責めないようにする。
若い人が再び失敗を取り扱えるように力をちょこっとだけ貸して、自分の力でチャレンジできる意欲を取り戻して、ステージにふたたび上がれるように応援できたら良いのかなと感じています。丹下段平のように。「立つんだジョー!」と。(いつものとおり「あしたのジョー」も未読で、勝手なイメージで話しています。すみません。)

チャレンジしている人へ私はエールを送りたいです。いつも頑張っているあなたへ、ありがとう。




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