盾を持つもの
自分の事をこんなに掘り下げられることが、いまだかつてあったのだろうか。
最近、他のnoterさんに私の事を紹介して頂けたり、私の評論家と称する方が出てきたり、なんだか賑やかな様相でございます。
まず、ご紹介して頂いた方、私に対する思考をめぐらせて頂いた方たち、そしてそれを読んだり聴いたりして下さった方たちにお礼を伝えさせて下さい。
本当にありがとうございます。
こんなに嬉しいことはないです。
みなさんの気持ちは受け取らせて頂いております。
私の喜びを受け取る器は小さいので、あふれてこぼれてしまいそうです。
というか、もう、こぼれています。駄々洩れです。只今、突貫的ではありますが、修復工事中です。小さいくまさんたちがせっせせっせと容量の拡張を図っています。
近々、器は完成すると思いますのでご安心下さい。
それでですね、この状況についてですが、わたくし非常に驚いています。
なぜかというと「自分がこんなに人に注目されるような人間ではないと思っているから」です。
どちらかというと昔から一番後ろとか日陰にいる方が落ち着きます。
演劇をやるならば断然裏方作業を選びます。演者にはなりません。
今の状態は裏方なのにスポットライトが当てられているようなものです。「あれ、この光間違えてるよ!当てるの私じゃなくて他の人だよ」と思っています。
だって、ここにはもっとふさわしい人がたくさんいるから。
謙遜とかではなく本気でそう思っています。
みなさん、目を覚まして下さい。
けれどもですね。私は今ある状況の全てを否定したい訳では決してなくて
相手から頂いたことばは大切にしたいと思っています。
こんな事が訪れるのも、皆既月食かハレー彗星位の確率であると思いますので、自分なりに楽しんでみたいのですね。
先日「ディベートには嘘のない自己開示が必要」とわたくしの師匠からおことばを頂きました。
良い機会なので、普段はあまり深掘りしない自分自身の事について少し掘り進めてみます。
まず、前回の記事で私はこんな質問を受けたことを書いていました。
「仕事と言えども、全ての人間に対して(どんなに人間的にひどい方でも)そこまで一生懸命になる必要性があるのか。」
そこに対するAnswerを自分なりに書いてみました。
なんか書いてみたら思ったより理由がいっぱいありましたね。
端的に言うと「私は自己犠牲を負ってまで、仕事に励んでいる訳ではないし、国のお金を使っているし、私の職能団体がこういう風にすすめて下さいと言っているし、相手は私かもしれなかったから」ということでした。
このお答えに対して、「仕事が楽しくなさそう」という一つのご意見を頂戴いたしました。そうですね。なんか楽しくなさそうですよね。この方には「仕事というのは楽しくやった方がいいよ~」とかなり心配をさせてしまっているような雰囲気の感想も頂いております。
そう、なんか心配されている。救おうとしてくれている。
あぁ、あたたかいなぁと思います。
こうやって心配してくれる人がいるんだなと思うし、無理してるんじゃないかな~と感じて下さっているのです。
ここで急にアベンジャーズの話をしたいのですが。
すみません、急ですね(笑)
「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」という作品が2016年に公開されています。この作品はマーベルのアベンジャーズシリーズのうちの一つです。私はアベンジャーズは全部の作品を見ていないので、詳しいストーリーを把握していないのですが、この作品は夫や息子が好きなので、自宅で流される頻度が高めとなっています。
たぶんうちの家族はヒーローたちの空港のバトルのシーンが好きなんだと思います。仲間割れしていてもかっこいいですよね。大暴れしているので、空港の方たちにはだいぶいい迷惑だと思うのですが。
この作品の内容についてですが、ざっくり言うと、アベンジャーズの仲間たちは、お互いに抱いている価値観が対立し、意見が分かれたのちに、仲間割れをしてしまいます。
キャプテンアメリカが左の人で右の人はアイアンマンなのですが、私の評論家さんに言わせると私はこの「キャプテンアメリカ」に見えるようなんです。
この写真はキャプテンアメリカとアイアンマンが戦ってしまうシーンだと思うのですが、それはお互いに大事にしているものがあり、見えている物があり、失ったものがあるからです。ゆずれないものがお互いにあるのでしょうね。
アイアンマンがそこで「父の作ったシールドをお前が持つ資格はない」と言い放ちます。
それを聞いたキャプテンアメリカは、その場に盾を置いて去っていきます。
私の今の気分はこんな感じです。
書いている自分もよくわからないのですが(笑)
私の評論家である人はきっとアイアンマンなのかもしれません。
それで私のアイアンマンは映画のアイアンマンと違って「もう君は十分戦っているからその盾をおいて、一人の女性として幸せになりなよ」と言ってきているのです。
でも、私はまずですね。自分が盾を持っていることに気づいていませんでした。
そして仮に私がその盾を持っているのだとすれば、みんな持っているのではないかと思うのです。
あと、私はあんまり自分の女性性について、はっきりと自覚しながら生活しているタイプではないかもしれません。(そのあたりは説明すると長いので説明しませんが)
なので、何だか言われた事に対しての自覚がなく、相手の方にとって非常に張り合いのないような反応になっている気がします。
そして、ここでまた最初の質問に戻ります。
「仕事と言えども、全ての人間に対して(どんなに人間的にひどい方でも)そこまで一生懸命になる必要性があるのか。」
のこの質問の内容をよく見てほしいのですが、
この質問は私の仕事の一部分に対しての質問なんです。
この部分についてお答えしているので、おそらく、出てくる答えはあまり楽しいものにはならないと思うのです。
だから仕事が楽しくなさそうという印象を与えてしまった自分にも反省していますが、まあ、これは私の一側面であるのだろうなという思いが自身の中ではあるのです。
という訳で
私は何を楽しみに仕事をしているのかということを少し考えてみたいと思っています。
上の例は、この業界で言うところの「難渋症例」に当たるのだと思うのですが、私自身はつらいことだけではなく、面白さというのも感じながら関わらせて頂いております。
ちょうどタイミングよくnoteも
#私らしいはたらき方の投稿コンテスト
が始まるみたいなので
みなさんも自分のお仕事について、思うことや表現したい事があれば投稿してみてはいかがでしょうか。
それでは今日はこの辺で。
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