誰かが誰かの命の灯火を絶やすことは、あってはならない事だと思う

昨日の昼頃、仕事での移動中に夫からLINEで連絡が入った。

私は仕事の連絡かと思い開いてみると

「安倍元首相が撃たれた。びっくり。」とだけ書かれていた。

私は今LINEのメッセージを見ると「ニュースでやってる?」とその時返事を返していた。


安倍氏は8日午前11時半ごろ、奈良市内の路上で演説をしていたところ、男に背後から銃撃された。右首と左胸を負傷し、病院に運ばれた。現場近くにいた警察官が男を取り押さえ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
搬送先の奈良県立医科大付属病院は8日の記者会見で、午後5時3分に死亡が確認されたと明らかにした。弾丸は体内からは発見されなかった。死因は失血死とみられる。

(日本経済新聞ホームページより)

日常の中で暴力が振るわれる場面。

今回の場面は一番非道で残酷な結果をもたらすものだ。

誰かが誰かの命を絶やしてしまうこと。

そこにどんな理由があったとしても、それは許されることではない。


私は以前、衝撃を受けたある事件を思い出していた。

それは今年の1月頃に起きてしまったある訪問診療医の銃撃事件だった。


読んでくださっているみなさんの中で、どのくらいの方がこの事件をご存知であろうか。


2022年1月26日、埼玉県ふじみ野市大井武蔵野の自宅で高齢の女性(92)が病死し、在宅クリニックを経営する主治医の鈴木純一さん(44)が死亡を確認した。その後、女性の長男で治療を巡って不満をもっていたとされる、渡辺宏容疑者(66)が1月27日午後9時を指定した上で、「線香を上げに来い」と、母親の医療・介護に携わっていた鈴木さんと看護師2人、理学療法士2人、医療相談員2人の計7人を呼び出した。渡辺容疑者は、鈴木さんの経営する在宅クリニックに連絡した他、一部の人には個別に連絡していた。

1月27日午後9時ごろ、閑静な住宅街の一軒家に男女7人が集まった。1階の6畳間のベッドには、死後1日以上が経過した母親の遺体が横たわっていた。渡辺容疑者が口を開いた。「生き返るかもしれない。心臓マッサージをしてほしい」

鈴木さんは丁寧に断った。すると、渡辺容疑者は自宅で所持していた散弾銃を手にし、銃口を鈴木さんの胸に向けて発砲した。弾丸は体を貫通し、鈴木さんは心臓破裂で即死。続けて、理学療法士の男性(41)の上半身を撃ち、医療相談員の男性に催涙スプレーを噴射した。さらに別の医療相談員に向けて発砲。スプレーをかけられた医療相談員が散弾銃を必死に取り上げ、家から逃れた。午後9時15分ごろ、「2人が銃で撃たれた。私は逃げている」と119番通報。理学療法士の男性は重体だが、一命は取り留めた。

(yahooニュースより)

私はこの事件が起きた時に、noteに書くかどうか散々悩んで、結局書かなかった。

書かなかったというか「書けなかった」と表現した方が近いのかもしれない。

とにかく衝撃を受けた。

そして正直に言うと

怖い

とさえ思った。

私も訪問リハビリテーションという、ここに出て来る人たちと同じような仕事に今も携わっている。

そして

もしかしてこれは私だったのかもしれない」と思った。


仕事をしていてそんな脅威に晒される危険性がある事を、この事件を通じて私はまざまざと見せつけられてしまった。チェックメイトや王手が私の知らないうちに進められていて、今まさにこの身を狙われているような、じんわりと嫌な汗が虫のように背中を這うような、嫌な感触を感じながら1月は仕事をしていた事を思い出す。


正論はいくらでも出てくる。

「話し合えば、もっと対話をすれば、解決できたかもしれない」という意見がある。この診療医は地元でも評判の良い先生であった。きっと丁寧で患者さんに寄り添った対応というのは、普段からごく自然と行われていたものと思われる。

「医療福祉職が丸腰ではなくもっと安全に身を守れる手段を検討しよう」という意見もある。勤務中に護身用の道具を持ち歩く?あるいはこの場合は防弾ベストを着ていれば防げたのだろうか。私たちがそんな重装備で出向いたところで、患者さん利用者さんはどのような印象を受けるだろう。感染防具だって違和感を訴える人がいる世の中だ。ただでさえ、社会から孤立しがちな状況であるのに、そんな格好をして訪れる事は「あなたを信頼していないですよ」と言っているようなものだし、さらに自分達が異質な存在であることを感じさせないとは私は言い切れない部分がある。

「こんな危ない人に関わらなければいい」という人もいると思う。危ない人の線引きはどこにあるんだろう。危ない人の定義とは?医療に線引きは許されない。どんな極悪人だって犯罪を犯した人だって、戦争の主犯格であっても助けるべきなのだ。ブラックジャックを読んでいる方はそのような場面が度々出てくるのでわかると思う。医療的倫理に関わる問題だ。


私は先日、訪問リハを担当しているある利用者さんの高齢女性に腕をつかんでひねられた。

彼女は私の左手の前腕につかみかかり、両手を反対方向へとひねって力を入れた。

私の腕は痛みを訴えていた。けれども私はそれを振り払うことができなかった。

彼女の思うままにさせて、彼女の目をそらさず見つめ続けることしかできない。

そばで見ていた娘さんが気づいて「お母さん何してんの!」と声を荒げて、静止した。

私は彼女の持つ苦しみや痛みや心の叫びをただその場で受け止めることしかできなかった。

生きている苦しみ。

痛みで思うようにならない体。

経済的に困窮している中でサービスを受けなければならない状況。

社会的に必要とされていないと感じる無力感。


やっぱりあの時どう考えても腕を振り払うことはできなかったのだ。


彼女の発した小さな暴力。


暴力は社会への期待が裏切られたことへの憎悪や

自分自身への憤りや

他者への愛憎が

溢れ出てしまったことからの行動かもしれない。


そして

原因が全くわからないような

話が通じないような

何の因果関係も決定打とならないような

説明がつかない矛盾を抱えているような

ただただ生まれてしまった暴力というのも

もちろん存在しているのだ。


そういったものを未然に防ぐようなことは、果たしてできるのだろうか。


ただ、いずれにしても


どんな理由があるにせよ
万人に暴力は振るわれてはいけない、と私は思う。

相手がどんなに自分の意に沿わない人物でも、意見が食い違っても、そこに返すべき行動は暴力であってはならないのだ。


暴力はさまざまな行動を制限する。

暴力は人を無力化する。

暴力は人を死に至らしめる。

私は今回の安倍元首相に対して行われた行動も、許されるべきではないという気持ちを、ただ周りの人に言うことしかできない。


1月にかけなかった分の気持ちも、ここに乗せながら書いた。

ただ今は「そのように思う」ということを記して本日は終わりにしたいと思う。









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