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月の裏側がある

一昨日はお騒がせしました。

今日は独り言みたいなものなので、
(大体がいつもそんな気持ちではあるのですが)

ある特定の何かを想定している訳ではありません。ご了承いただけると大変ありがたいのです。

ラベリングかぁ・・と思って・・

なんだ?ラベリングって?みたいな。

まず定義がわからない。
誰かがおっしゃっていたようにそれぞれの思い描くラベリングということばの意味合いや受け取り方が違うかも・・。

だからまずそのことを調べたり、定義することが大事なんですが・・その辺はどなたかにまかせます。おそらく私より詳しい方がいるはずです。

(インターネットでは「ラベリング理論」とか「ラベリング効果」などが出てきました。読んでふむふむとなりました。どちらかというと社会学の領域に近いのかな?)

私はまだまだ知識や経験が足りず、知らない領域だからもう少し勉強してみます。


とりあえず、身近な話題から。

そして自分が考えられる範囲で少し書いてみます。

以前ご紹介した伊藤亜紗さんの「手の倫理」という本がありまして、ほんの一行ですがラベリングという単語が出てきます。

少し長いですがお付き合いください。

人と人との違いを指す「多様性」という言葉は、しばしばラベリングにつながります。あの人は視覚障害者だからこういう配慮をしましょう。この人は、発達障害だからこういうケアをしましょう。もちろん適切な配慮やケアは必要ですが、まさに倫理ではなく道徳の領域で、個人が一般化された障害者のカテゴリーに組み込まれていく。いつもいつも同じ役割を演じさせられるのは、誰だって苦しいものです。
当たり前ですが、障害を持つ人はいつでも障害者なわけではありません。家に帰れば普通のお父さんや年頃の娘かもしれないし、自分の詳しい話題になれば、さっきまで介助してもらっていた人に対して先生になることもあるでしょう。
こうした一人の人が持つ多様性は、実際にその人と関わってみないと、見えてこないものです。一緒にご飯を食べたり、ゲームをしたり、映画を見に行ったりするふつうの人付き合いのなかで、「〇〇の障害者」という最初の印象が、しだいに相対化されてくる。
人と人とのあいだの多様性を強調することは、むしろこうした一人のなかの無限の可能性を見えにくくしてしまう危険性を持っています。
このことは、裏を返せば、「目の前にいるこの人には、必ず見えていない側面がある」という前提で人と接する必要があるということでしょう。それは配慮というよりむしろ敬意の問題です。
この人は、いま自分に見えているのとは違う顔を持っているのかもしれない。この人は、変わるのかもしれない。変身するのかもしれない。いつでも「思っていたのと違うかもしれない」可能性を確保しておくことこそ、重要なのではないかと思います。

(※伊藤亜紗さんはインターネット上でも東京工業大学のインタビューに答えておりますので、興味がある方は読んでみて下さい。

このお話は障害者の方に限ったお話ではないですよね。

様々なことに通じるのではないかと思いました。

私自身はまず利用者さんとは病気や障害ありきで関わることが多いので、いかにその人の持っている先生の側面を引き出すかがいつも勝負だと思っているのです。

いろいろな先生がいるんですよ。

俳句の先生。
野球観戦の先生。
ネイルの先生。
料理の先生。
絵葉書の先生。
ゲームの先生。
社交家の先生。
園芸の先生。
鉄道の先生。
仕事の先生。
グータラの先生。

グータラの先生は私も負けないのですが(笑)みなさん本当の意味合いの先生じゃないけど、必ず1つ位は得意なことや大事にしている作業があるんですよ。

そして誰もが誰かの家族で、たとえ天涯孤独な方でも、その方を生んだ人がいて、家族じゃなくても大事な人がいたり・・。社会の中でのその人の役割がある。


空を見上げれば月が見えます。

月の裏側。

裏側って地球からじゃ見えないんですよね。

私は今日その仕組みを子どもと調べてびっくりしたんですが・・・。

自転と公転のタイミングで見えないんです。

(地球が第2子で月が第1子で実際にまわってもらいました。わかりやすかった。)


誰でもその裏側があるんだということ。

そのことを忘れず敬意をもつこと。

人と人との多様性ではなく、人の中にこそ多面性があること。

安易にその人のパーソナリティや能力を決めつけてしまうようなラベリングをせず、無限の可能性を共に想像して信じてあげること。

月を見ながらそんなことを今日は思ってみました。

おわり。



※「障害者」という表記について過去に記事を書いているので、ここに残しておきます。この表記がきらいな方や気分を害した方はすみません。でも、私の中にも理由はあって今はこれで書いていますので、本当にすみませんとしか言いようがないのです。かといって、今のところは表記を変えるつもりもありませんのであしからず。


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