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くまのぬくぬく日記

11/26(日)の日記。

◾️スプラの話
今日は朝からMiguelがスプラトゥーンの配信を5時からやると鬼畜なことを言い出したので、目覚ましをかけて起きようと思っていた。
しかし、結局二度寝の誘惑に勝てず、配信を聞くことはできなかった。
すまんMiguel。許せMiguel。
当の本人はなんにも気にしないと思う。
「くまさん、そんなことは別にいいんですよ」と言うと思う。そんな間柄だ。
中島(おひ○ち)よ。許せ。カツオ(くま)はこの体たらくだ。
お互いにSNSで知り合って本名も何もかも知らないくせに、こんな失礼でてきとーな感じでいいのかなと思う。でも、たぶんこれでいいんだと思う。そして、私がてきとーに対応する人は案外少ないことに気づくが、まあ、それもどうでもいいことである。てきとーってのは「適度」とも言い換えられる。ある種の不思議さだけは彼に感じる。

◾️死について

朝かられおさんが話しているラジオを聞く。彼はこの「死の臨床研究会」に仲の良いドクターやスタッフたちと参加していて、その1日目の感想や学んだことをかいつまんで話してくれた。(いつもの通りさわやかな声で)
非常に興味深い。そしてその通りだなと思う。
とにかく「答えはない」のだ。
こういう分野はみんなに共通する答えなんて出てきやしない。
私が尊敬している隣街のドクターは、以前飲み会でお話しさせてもらった時にこう言った。
「僕は認知症は治らないから専門にしたいんです」「治る病気は興味がない」「治らないからこそ一緒に考えたいと思っている」と。私もそうだ。治らないからこそ考えたい。そして死もそうなのだ。かなり個別性が高く、ケアのアプローチの再現性も低い。でも、そこにやりがいがあると思っている。れおさんもおっしゃっていたけどもこれはみんな「当事者」の話なのだ。私たちはみんな死に向かっている。私は利用者さんの様々な生きる姿を目の当たりにして、また自分を振り返ることができる。そして、自分の中に溜まって発酵した何かを見つけた時、それをまた手渡したり還元したりしたいと思っている。来年もし開催されるなら私も聞きに行きたいと思った(来年は北海道だそう)

◾️ぬくぬくについて
朝ごはんは昨日の夕飯の残りの鍋をみんなでつつく。
夕飯が残るタイプのものを休日の前の日に作ると、朝ごはんが楽でいいなぁと毎回思う。おでんとか、シチューとか、ポトフとか。鍋もそうだよね。
休日は私はのんびり起きたいタイプ。
夫は早起きするタイプ。
新婚の時からずっと変わらない。
起きるといつも横にいない。
活動的だなと毎回思う。

鍋もお布団もぬくぬく感が大好き。

娘に「ぬくぬく」ということばの多幸感たるや、これを超えるものはないのでは?と問うた。彼女は「確かに」と同意してくれた。
なので今回は「ぬくぬく日記」とした。
ちなみにこれは今読んでいる岸政彦さんの「にがにが日記」の完全なるパクリである。にがにが日記の岸先生は期待を裏切らない。やさしくて泥臭くて不器用なことばがたくさん置いてある。この人、人間くさくて好きだなぁっていつも思う。

◾️映画を見に行った
娘が「鬼太郎の映画を見たい」とつぶやいたのがきっかけで、みんなで映画を見に行くことになった。私と夫は「月」をずっと見たくて、鬼太郎との上映時間がうまく重なっていたので、息子を説得し巻き込んで行ってみた。
鑑賞後に「鬼太郎はおもしろかった」と娘が5回くらい言っていた。目玉の親父さんがイケメンすぎる!とのこと。

月についてはまたじっくり考えたい。

「やまゆり事件」はずっとずっと私の中に残っている事件の一つだ。福祉業界に携わっている人は避けては通れない事件だと個人的には思っている。
私は色々な方の書籍を読んだりして、まだまだ考えたい。
優生思想について。
人とはなんだろう。
生きていることってなんだろう。
差別ってなんだろうって。
考える続けることが大事だと思う。
家に帰宅後「わたしの身体はままならない」の熊谷先生のページを再読した。夫に渡して読ませた。

映画は「暗!」と思った。
いや、内容は確かにそうなんだけども、内容よりも施設の暗さにビビる。
私が働いてたところは夜勤でもぴかぴか明るくて、こんなに暗いところで介護職員たちは働かなくちゃいけないなんて、電気もっとつけよーぜ!節電してんのか?とかなんだか余計な心配をしてしまった。

結局みんな排除されるのがこわいのだ。

排除は連鎖し、被害者は加害者を見つけ、正しいものは悪しきものを見つけるのだ。

「純粋」がこわい。純粋の光の強さが最近こわい。「素朴」ということばのもつ危うさも最近また永井さんのSpotifyを聴いて感じた。きらきらしてまっすぐしたものってきれいだけども、残酷さも含むなぁって思う。だからきれいなのか。
きれいな薔薇には棘があるんだ(by蔵馬。そういえば幽遊白書も実写化らしい。少し見てみたい気持ちはある)

映画は「少し説明しすぎかな」と個人的には思った。でも何かを届かせるための創意工夫なのだとも思う。オダジョーはいつ見てもかっこよいし、宮沢りえさんはきれいで儚げである。

◾️ホットクを作りたい
なかしましほさんがホットクの作り方をネットに載せていて、食べたい!作りたい!と急に熱が高まる。
あんこと白玉と少しのナッツを入れるのだ。
絶対そんなのおいしいに決まっている。
こんなことを思ってしまうから、先日の健康診断の結果になる。昨年より1kg増えていた。これはまずい。見てくれはどうでもいい。私の姿を誰に見せるわけでもない。しかし、健康のためにはやせたい。肥満は関節痛や心臓への負担も高い。これは利用者さんから日々まざまざと見せつけられている真実だ。糖尿もこわい。「食べたい」と「太る」の狭間で今日も私は揺れている。

◾️大学で授業
我が家での毎年の恒例行事。
この時期になると、リハの県立大で授業をさせてもらう。しかも夫婦一緒で。それが来月であることをいきなり告げられた。いや、言われていたのかもしれないが日にちまでは知らなかった。
私は人前で話すのが、好きではない。
夫は水を得た魚のように話すのが得意なタイプ。
なるべくさっと終わってほしい。
でも、ちゃんと伝えられることは伝えたいなとも思う。後進育成は大事なのだ。

◾️回転寿司でたまご
夕飯はそのまま家族で回転寿司に行った。
映画でも回転寿司の場面があった。主人公たち夫婦がはじめてお互いを意識したのが、回転寿司のたまごに向かって同じタイミングで手を伸ばしたというエピソードで、私は「それを再現しますか!」と夫に言った。
主人公たちはやわらかく手を伸ばし、「あ」とはにかむみたいな、平和の象徴みたいな、かなり牧歌的な雰囲気であったが、私たちは「このたまごはオラんだ!!よこせ!!」と奪い合う形にしようとなぜか勝手に決めたが、結局私は廊下側の席で手が届かず再現は不可能であった。無念。

◾️またスプラの話かよ
夜22時半から「クサヤ温泉というステージでオフロのプライベートマッチをしよう」と最近知り合ったスプラトゥーンの人たちと約束していたことをすっかり忘れていて、夕方頃思い出す。
あぶないあぶない。
忘れてなくてよかった。

いいフロの日だからね
クサヤ温泉というステージは
由来は草津温泉からきていると思うのだが
なかなかにいい温泉っぷりなのである
この羽織りのギアを初めて着てみる

めがねさんがいたから良かった。ボイスチャットは緊張する。はじめましての方がほとんどだったが、めがねさんにはこの前お会いしたので、なんとなく安心感がある。そして、めがねさんが程よく話題を振ってくださるので、ありがたいなと思っていた。
これが終わった後に、回線落ちで泣きそうになっていたかすみさんと少しだけ遊ぶ。遊んでいる間、彼女が回線落ちしなくて良かったなと思う。かすみさんはスシコラで大活躍の回だった。

◾️さみしい
私の好きなヤンデル先生(病理医の市原真さん)がXで「SNSから撤退します」宣言をされていた。理由は付きまとう人たちにどうやら辟易しているみたいなことだった。
かなしい、かなしい、かなしみである。
彼の紹介する本が好きだった。
彼の紹介する漫画も好きだった。
彼が熱心に医療情報に真摯にむきあっていること。
常にかしこい頭をフル回転させて場を調整し続けていたこと。
彼のメガネ姿(これは完全にミーハーなファンの意見)
みんなみんな好きだった。
ありがとうしかない。
姿が見えなくなっても、きっとまた彼は彼で懸命にやっていくのだろう。
永遠に続く関係性はない。
たまたまここで瞬間的に奇跡のように出会ったことは、もう2度と同じところには戻れず、また離れていく。それはまるで惑星のように。そういう周期であっただけだ。
そして、それはまた巡ってくるかもしれない。
もう2度と会えないのかもしれない。
だからこそ、やはり「今」なのだなと思う。
今を生きていて、そして今私は何をしたいのかを、ちゃんと考えたいなと思う。

土は常に掘り起こされる。

掘って混ぜて、何が今ここにあるのか確認しながら、種を植え続けていける人になりたいと思う。

今日は種を植えられたかは疑問だが、いい塩梅で土は掘り返されたかと思う。

と、いうわけで本日はここまで。

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