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企画雑感【可塑的でそしてそこにあるものとして】

雑感だ。

なので文章にまとまりがないことをご了承願いたい。

編み物の企画。


今現在のところ、27名が参加してくれている。

かなりの大人数!!


予想以上の展開。まだ24日は終わっていない。参加表明してくれている方がまだ何人かいる。もっと増えると思う。

多謝!


私は今回企画を立てるのは2回目になる。

1回目は人の死について...少し考えてみたかった。風呂敷をとりあえず広げてみたかった。衝動的に私の中で始まっていた。何かがはじけてしまった。まるで熟れてしまった果実のように。

テーマはとっつきやすい「食」をからめたものにした。

死を考えることは生を考えることだと私は思う。

死というのは一瞬だ。着地は一瞬。

私たちがジタバタできるのは着地に至るまでだ。そして着地はただの終わりではなく、またはじまりでもあるのかもしれない。

長い長い地球の歴史に比べると、ほんの一息つくぐらいのものなのかもしれない。

それは演奏の間のちょっとしたブレスみたいなものかもしれない。

そのささやきのようなため息のようなブレスについて、本当は....あれこれあれこれ考えなくてもいいのかもしれない。

息は自然に吸ったり吐いたりするものだ。

でも、私はそこを考えたくてしょうがないのだ。

一人一人の呼吸の仕方について、どうしたらその人の自然な呼吸に近づいていけるのかを、考えてみたくてしょうがないのだ。


私は結局、死がこわいのかもしれない。


まあ、それは余談として.....。


今回の企画は、実は、私が自分で立ち上げたという実感が先程までなかった。

実感がわいたのは、皆様の記事を読んでからだ。

ひとまず投稿してくださった方の記事は読み終えた。(まだコメントはさせてもらっていない)

次々と投稿されている記事。仕事の合間にnoteをこまめに開いては、マガジンに入れていくので精一杯の今日一日。

スキもコメントもすぐつけられなくて申し訳ない!と思っていた。

記事を読み進めていくうちに、毎回どの記事にも「くまさんの企画に参加します」と書かれていることに気づく。


あれ?これ私の企画?


と驚く。


今は多少なりとも自分が立てたことを自覚してきたが、やはりこの企画。私が中心にいるようなものではなくて


プロデュースしているSMILE SWICTHの存在が大きい。

そして、SMILE SWICTHは実は一つのLINEグループで繋がっている。

ぼたんさん
舵星さん
れおさん

そして私がいる。

正直、今回の企画は4人で進めている気持ちが大きい。

そしてそのSMILE SWICTHを陰ながらささえてくれている人がいる。

だから、私は先程まで実感がわかなかった。


この企画はあらためて思うが


私1人の企画ではない。


あなたも
あなたも
あなたも

みんなそれぞれ参加者であり企画者なのだ。

そして、私はなにか特別な理由もなく、ただこうしたいからしているだけだ。

それは他者のためという訳でもなく

自分のためという訳でもなく

どれもこれもしっくりこないが

なにかに私は突き動かされているだけなんだ。



編み物は可塑的なイメージを持つ。

一本の糸は人の手により

カタチを変え

強度を変え

密度を変え

何ものかになって


時が経てばまた一本の糸にも戻る。

しなやかで変幻自在なやわらかさを持つ


編み込まれるものは


空気であり

光であり

影であり

過去であり

未来であり

生であり

死であり

温度だ。

そして、それは必ず人と人との間にいる。


みんなの編み物の物語には


必ず人と人との間に


そこにただあるものとして。


そして、なおかつ

人を見つめるものとして。

手編みの作品がそこにいる。

あなたが紡いだ一つの糸が


たくさん絡まって近づいて織りなされるラインを描いているのを


私は今楽しく見届けている。

同じように楽しみたい方は


ぜひこのマガジンの作品を読んで欲しいと切に願う。


サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。