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火をくべてもらいました

私は、想定外のお返しをもらえると瀕死の状態になってしまうことは以前noteでも書いてみたのですが

初めてサポートをされて、非常に戸惑っています。

「サポートをされる」ということは頭にもなかったもので、お礼のメッセージも設定していませんでした。

「私がサポートを受ける」というのは、学芸会でシンデレラのシンデレラ役に抜擢されるほどありえないことです。シンデレラは北島マヤさんで十分です。(ガラスの仮面は読んだ事がないのでたぶんいろいろ間違っています。すみません)

なので、ご本人へ感謝を伝える術がなく(あるのかな?未だに使い方がよくわかっていない)こちらで感謝を伝えたいと思います。

サポートして頂いたのは、高梨さんという方です。

数年前に倒れた両親のために介護離職し、近距離別居で生活する日々を記録します。

とプロフィールにも書いてある通り、ご両親の生活を日々見守っていらっしゃいます。

ご両親ともになかなかに体の不調もあり、頑固でもあり、認知機能の低下もあり、キャラクターが濃い方達なんですね。

その生活を息子の立場としてあるがままに綴っておられるのですが、読んでいて大変ユニークですごく心地がいいんです。

これは高梨さんの介護のスタンスがあってこその心地よさだと思います。

「これはあくまでも私の考えだが、介護というのは、衰えゆく老人を、上げ膳据え膳で行動をコントロールすることではないのだ。」

この一言に高梨さんの気持ちが集約されていると思います。

私は仕事が医療福祉職なので、様々な認知症の方と認知症のご家族に日々関わらせてもらっています。

ご家族というのもまさに十人十色で、それぞれの介護の仕方で支えているんですね。

ネグレクトのような放置をする方は問題外ですが、意外と多いのが親をコントロールしようとする家族です。行き過ぎた関わり。

あるご家族ですが、訪問リハビリで「コンビニのおにぎりのパッケージがあけられないから指導して欲しい」「家の中でジャージをはいて寝っころがっているから、きちんとした格好になるように働きかけてほしい」「食事中に話題が少ないから、適切な話題がふれるようにトレーニングしてほしい」「お箸の持ち方が美しくないから練習して欲しい」という目標を勝手に立てて、本人が望んでもいないのに、実践して欲しいと圧力をかけてきたりするご家族がいました(恐ろしい話ですが実話です)

できるところはなるべく続けてもらうことがまず大事です。しかし、上記の方は本人不在で話が進んでしまっています。

そして、衰えてできなくなってしまうところはやはり「しょうがないなあ」といいつつも、さりげなく、時には大胆にサポートしてほしいなあと思っています。

私のなかの印象ですが、この繊細なさじ加減が、高梨さんの介護は非常に理想的で、それが読んだ時の心地よさにつながっているのかもしれません。

これからの世の中で「認知症」はもっと語られていいものだと思います。
今までは感動を呼ぶような映画であったり、悲惨さだけがクローズアップされたニュースであったり、認知症のある一面だけが強調して見られてきたような感があります。もっと多面的で普遍的な「日常の中の認知症の話」を求めている人は案外多いのではないのでしょうか。私はそんな話にひかれてしまいます。そして私のまわりにもそんな一人一人の毎日が積み重なっています。

高梨さんに火をくべてもらったような気持ちで心が温かくなりました。火はゆらゆらと燃えています。また、このくべてもらった火を私も誰かにつなげていけたらいいなと思っています。


サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。