私のパーソニズム【note-book完成に向けて考える事】
こんにちは。
レシーブ緒方さんが企画されているnote-bookが完成するまで、あと一歩というところまできているようです。楽しみですね。
今のところ、何もお手伝いもできていないし、私はただ見守るだけでございます。
■ 企画への想い
沢山の方と緩く繋がって楽しんでいる「今」って貴重だなぁと思います。
僕がnoteをいつまで続けるか分からないし、大好きなあの人がいつnoteを去るか分かりません。
自分やあの人が共に表現していたことを、一冊の本に残してみませんか?
自費出版というより、卒業アルバムの感じです。(緒方さんの記事より)
「よくこんな事を思いつくなぁ」と最初にこの話を伺わせてもらった時に思いました。私じゃ絶対思いつかないし、ましてや企画をすすめるバイタリティや技術がないのです。
緒方さんのやることは「楽しくみんなが幸せになれること」をいつも純粋に追いかけているような気がします。そんなひたむきな姿勢に共感して....もちろん企画自体にも非常に楽しんで参加される方が多いのでしょうね。
うーん人徳だなぁ....。私は緒方さんのファンなので、いつでも応援したい気持ちでいっぱいです。
さて、私は当初、この企画へはサポートだけで、自分の記事を載せようなんてこれっぽっちも思っていませんでした。
(だから最初は本当にサポートだけしていました)
けれども、途中から心変わりして(何で心変わりしたかは内緒です)一つ自分の記事を選ぼうと思ったんですね。
記事を選ぶときの基準として以下の2点を外す事を気にしていました。
・どなたかの企画に参加した記事
・仕事でのケアの場面でのやり取りを載せたもの
上記を選ばないとなると、おのずと自分と自分のまわりでの出来事や、自分がおもうがままに本や音楽に影響を受けて書いたものに限られてきます。
(ロスト・イン・トランスレーションの記事をけっこうみなさんおすすめして下さって嬉しかったのですが、あれも企画参加記事でした)
自分が何かに影響を受けて書いたものは「私のもの」という感じがしませんでした。結局、私のフィルターを通して取り込まれて出しているので、最終的には私のものなのでしょうけど、何だか違うなぁと漠然と思っていたのです。
となると、この記事しかなかったのです。
私はこの記事を選びました。
他のnoterさんたちがおだんごさんの記事でいろいろと選んで下さったのですが(この記事のおだんごさんの書いて下さった想いもとってもとっても嬉しい事なのですが、記事のコメント欄でもみなさんのあたたかい想いが書かれています。私はこれを読むと嬉しくて涙が出そうになります)
私は、そういう訳で誰も選びそうにない記事を独断と偏見で選んだ訳です。
つくづく頑固者だなと、ちょっと自分が嫌いになったりあきれたりする訳ですが....
まあ、お誕生日の記事だし、記念にもなるし、いいのかなとアニバーサリー的な意味合いもありますし、あとで見返した時に40歳の節目として思いだせていいかなとも思ったし
何よりこの記事は、私を等身大にあらわせているのかなという手ごたえをちょっとだけ感じたからです。
話がちょっとここで今朝の場面に変わります。
今朝、夫がある一つの本を勧めてきました。
それは映画評論家の町山智浩さんの著書「映画には「動機」がある」という本でした。
その中の「パターソン」という映画について書かれた章があるのですが、それを読んでみなさいと渡されたのです。
パターソンは私が先ほどあげた「40年の器」で登場する映画です。
ぼんやりとしながら読んでいたら、とても心に響くことばがありました。
それは
パーソニズム
ということばです。
監督のジム・ジャームッシュは「映画パターソンは詩人のフランク・オハラに影響を受けている」と話しているそうです。
フランク・オハラはニューヨークの街を書く詩人でした。
そして彼はあるアート宣言をしています。それが1959年にカウンターカルチャーのビック・ウェーブが到来する直前に書いたアート宣言。
「パーソニズム宣言」
以下、本から文章を抜粋します。
パーソニズムは「人間主義(ヒューマニズム)」でもなければ「個人主義(インディビジュアリズム)」とも違う。パーソニズムに相当する日本語はない。オハラは「特定の誰かのための表現」という意味で、パーソニズムを使っている。
つまり不特定多数の人に読まれ、鑑賞されるための創作ではなく、ある特定の人、具体的には自分の愛する人に向けてのみ作られた芸術のことだ。だから、詩を書くときに韻律やリズムなどは気にしなくていいとも言っている。本当に素晴らしい表現とは、愛する人への気持ちをストレートに表わしたものであって、技巧はどうでもいい。だから、「このパーソニズム宣言で文学は終わるのだ」とオハラは言っている。
パーソニズム宣言に影響を受けたジム・ジャームッシュは、インタビューで「『これを発表したら世間はどう思うかな』と思った瞬間にアートはダメになる」と語っている。大衆受けを意識するのはコマーシャリズム(商業主義)であって、アートからは遠くなる。
~中略~
ジム・ジャームッシュも、独りよがりではダメだと言っている。誰か特定の人に自分の気持ちがきちんと伝わるように心を紡ぐことによって、似たような気持ちを持っている世界中の不特定多数の人にも届くはずだと。
パターソンの主人公は妻や町や友人や自分に触れることで、たんたんと詩を紡いでいます。
私はこの静かな映画を観ながら、とてつもなく主人公の彼の世界にひき込まれている自分を感じていました。
そして、この40年の器もちょっと「詩」的に書いてみようとチャレンジしたものとなっています。
私は今朝、この町山智浩さんの本を読んで
私が惹かれている世界を
それを目の前にすくって
こぼさないように
そっと
みせてくれた
そんな気持ちになりました。
そして
この「40年の器の記事」はまさしく
私の身のまわりを
家族と私を
不器用ながらも
拙いながらも
切り取って
描くことができた風景であると思います。
その大事な我が子を
お嫁に出すような気持ちですが
みなさんの珠玉の記事たちと
肩を並べさせて頂くのも
大変申し訳ない気持ちでいっぱいではあるのですが
私はnote-bookが届いて、ページを開ける瞬間を心待ちにして
大変楽しみにしております。
今回参加させて頂いた緒方さんに
ちょっと早いのですが
あらためてお礼を申し上げて
この記事を終わりとさせて頂きたいと思います。
ありがとうございました。
※サムネイルは私の大好きな微熱さんのかわいいうさぎさんのイラストにしました。微熱さんのイラストからも等身大のあるがままのキャラクターたちがたくさん出てきて、いつも楽しみにしております。いつか使わせてもらおうと思っていて今日にしました。ありがとう。