わからないけど、そばにいる
「どうせわからないんだから」
「私のことなんてわからないでしよ」
「私のつらさなんて誰にもわからない」
目の前の少女は憤りをあらわにして
持っていた水筒を強く床に投げつける。
「あいつムカつくんだよ」
「みんなムカつく!」
私はただただ
「うん、わかったから」
「聞いてるよ、ちゃんと聞いてる」
と言って彼女を強引に抱きしめた。振り下ろした手が私の肩や背中にどんと小さな衝撃を与えた。
最近気になっている子がいる。
私は福祉職の友人からヘルプを投げかけられて、仕事ではない部分でその子と関わりを持つようになった。
彼女は世の中を憎んでもいるし、愛してもいる。
精神科に入院して、そして退院した。けれどもいい状況に向かう兆しが見られず、そんな時期に私は彼女に出会った。
彼女が水筒を投げつけた日はみんなで夕ご飯を食べている最中だった。学習支援の場を友人が毎週ボランティアで開催しているのだが、その日はその少女も参加していたのだ。
抱きしめてなだめて、少女の母親が迎えにくる頃には彼女も落ち着いていた。
少女が母親と帰宅した後に、友人がミルクティーを入れてくれた。
あたたかく沁み入るミルクティーに心も体も緊張がほどけた頃合いで
「くまさんが彼女を抱きしめた時に、やっぱりすごいなと思ったの、私」
と友人が洗い物をしながら話しかけてきた。
『すごい...かな』
私は心に思い浮かべる。
そこで、私はあいかわらず思ってしまうことがある。
私はあなたの気持ちは
あなたの言う通り
何もわからない
そして、私は無力だし
結局何もできないのだ、と。
あたたかいミルクティーが入ったマグカップを見つめて、私は友人にどのような返事をするべきかしばし悩んでいた。
時は移り
先日訪問中の利用者さんと、ある会話をしていた。
その方は高齢者の介護保険サービスの施設に入っている方だ。施設では食事はみんなフロアに出てきて食べるスタイルがどの施設でも多いと思う。今回もそんな場面を想像しながら読んで頂きたい。
「そういう時おたくだったらどうする?」と問われた。
私は答えた。
答えたあとに利用者さんは、とてもわかりやすく納得できない表情をされた。
「だって。普通常識じゃん。そんなの」
「お前がおかしいだろって話でしょ」
「何考えてんだって、疑うことだよ」
「くまさんは変だよー」
と笑顔で言われた。
まあ、笑顔で言われるくらいの関係性ではあるので、私も割と率直にこのあと返してしまうのだ。
「でもさ...常識が」と利用者さんが続けて壊れたラジカセのように同じセリフを繰り返したので、例え話を出して(日本と外国の常識とか、あと国内でもローカルな常識とかあって、そんなことに驚いたりしませんか?という感じの例)最終的には「確かになぁ」と相手の方も落ち着かれてその日の話題は終わりとなった。
私は相手が何を考えているのかはわからない。
本当によくわからないのだ。
私のことも相手はきっとわからないだろう。
私自身だって悲しいくらい私のことがよくわかっていない。
けれども
相手に「わかるわかる!」って言いたい時もあったり
私のことをわかってよ!って思ってる自分がいることもある。
わかるよーって言われて嬉しい時があったり
「あなたはつまりこういうことだよね」ってわかってるような素振りをされて、決めつけないで!と思うことだってある。
人間って本当に矛盾していて勝手な生き物だな、と私は思わず笑ってしまう。
私は少女や利用者さんの怒りや悲しみや憤りは
はっきり言ってわからない。
けれども、この不思議な国のアリスにも負けない奇妙なわからないだらけの世界の中で
私はただそばにいたい、とだけ思う人がいる。
ただ見ているだけ
聞いているだけ
物理的に離れていたとしても
ただ思うだけでも
わからなくても
私はここにいていいんだと
確かに思える強さがほしいと
あのミルクティーのやさしさを
ふと思い出す日は
体温がちょっと上がっている自分を少しやさしくなでてあげたい気持ちになる。
冬はまだ続いていく。
だが
春はもう少しかもしれないから。