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Today`s songs ごちゃまぜ30

偲ぶ

と言えども。

私は彼のことをよく知らない1人なのだ。


戦メリやラストエンペラーの曲はそれこそよく耳にしたりはするが、熱心に全ての楽曲を聴いたりはしていないし

(しいてあげるならば「out of noise」というアルバムを一番よく聴いていたような気もする)

YMOの活動や

彼の反戦に関する活動までも

全てを語るようなものは持ち合わせていない。


ただし

映画の中で印象的だったのはこの二つの楽曲。

「Bibo no aozora」
「Solitude」

一つは「バベル」という映画。

もう一つは「トニー滝谷」


二つとも私に大きなひっかかりをいまだに残している映画だ。
バベルは劇場で、トニー滝谷はレンタルビデオで観たが、それぞれ余韻が大きかった。


映画バベルは

その元の話となっている聖書に記された
バベルの塔
がしめすとおり

神がもたらした怒りによって
ことばが通じなくなってしまった民をモチーフにしているとのことで

ことば

通じなさ

わかりあえなさ

が奥底にひっそりと横たわっていて


映画の中では、同じことばをあやつるものでも気持ちが通じず、すれ違い、憎み合い、恐れや不安を抱き、まわりにたくさんの人がいても、ひとり孤立してしまう人たちがいて、物語は思いもよらぬ方向に引き寄せられていってしまう。

トニー滝谷は

孤独を愛した男が

妻と知り合い

孤独ではない生活を手に入れたのちに

ふたたび孤独となる。


彼が妻に出会う前の「孤独」と

妻に出会ったあとの「孤独」は

きっと

彼にとってはあきらかに違う色をしていて

私はどちらがいいとも悪いとも言えないが


かけがえのないものを手に入れた時の


喪失をおそれる気持ち


喪失と向き合わなければいけない過程を


よく描いている作品だと思う。


二つとも孤立と孤独に関して、私が考えるための、考えていかなければならないプロセスの中で、たぶん必要な作品だと思う。


最後に....先日お会いした方たちと過ごした時間は


ことばには代え難い空気感、心地よさがあったこと。

顔を見るだけで腑に落ちる感情があって。


そういうものが今後ずっと続いていくものではないのかもしれないにしても


私は出会ってしまったあとの孤独の方を抱えていきたいなと


ある種、それは幸せな孤独でもあるかもしれないなと

ふとそんなことを思ったことを

最後に置いておきます。


あいらぶゆー!

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