愛を語る資格なんてない、そして私は1番じゃなくていい
「おたくはさぁ、何か書いてみたらどうかな」
仕事中に急に唐突もなく投げかけられたそのことばに、私はドキッとした。
「なんでそう思いますか?」
私はその利用者さんにストレッチをしながら聞き返した。
「あなたは文章がうまいでしょ。たくさんの人に出会ってたくさん思っている事があるじゃない?いい線いってると思うんだよな。瀬戸内寂聴さんを思い出すよ」
瀬戸内寂聴さんの書籍は読んだことはないのだが、何か深いものをまわりへ与えていた人であるという事は、何となく頭のイメージの片隅にはある。そんな大きな器の人を引き合いに出してもらって私は大変いたたまれなくなってしまう。
「noteを書いています」
とは言わないけど、あるところに文章を書いていることは話してみた。
「じゃあ、いろいろな人の想いを書いてみたらいいよ。それはきっとあなたにとって必要な事だから」と、おっしゃって下さった。
そして話を進めると
「愛を語る資格なんてない」
とその方は発言された。
日本人は愛を語れないという持論を彼は述べた。理由としては外国人の方はハグやキスなどのスキンシップが多いけど、日本人は昔からそのような文化がなく、そういう機会も少ないからだと言うのだ。(この方は外国へ移住していた経験があるからそのように話しているのだと思う)
「スキンシップは大切」
「あとね、愛は無償のもの。何もかえりみないんだよ。本当の愛を知っている人はわずかだと思う。そんな簡単に言えるほど薄っぺらいものじゃないんだよ。」
仕事が終わってから私は考えた。
私に愛は語れないのか。
愛って何?
自宅で薪ストーブの前で炎のゆらめきを見ながら考える。
炎が燃える音はパチっという音だけではない。距離が近いからなのか、表現しがたい低音の音が鳴り続けていることに初めて気づいた。
私は気づいたら薪ストーブの前で眠っていた。
しばらくして目が覚める。時刻は23時。夫が横にいる。私はぼんやりしながら何気なくTwitterを開く。
そこには夫のツイートがあった。
私は尋ねた。「どこからこの話を聞いたの?」
夫は答える「それは僕の作り話だし、ジョーマッコイなんて誰だか知らない。」
やっぱりだ。
らしいな、と思った。
そして、これは愛じゃないかなと思った。
彼は私が寝ている姿について「寝ているキミは幸せそう」とよく言われるのだ。
それを話す夫の顔はいつも穏やかである。
これは愛じゃないかなと思う。
よくわからないけど私の感じる愛。
幸せそうな私を見て、幸せを感じている。
この人はいつも愛を傾けてくれているのだな、と思った。
愛は語れなくてもいい。
確かに資格なんてないのかもしれない。
私はだいたいまわりに無意識に何かしらの見返りを求めているのだと思う。
「私がここまでしたのに、相手は何もわかってくれない」
「他の人がここまでやってくれたから、この人もやってくれて当然だ」
すぐそんな事をちらりと思ってしまう自分が嫌だし、無償の想いではないのだろう。
けれども。
私がいつも受けている気持ち。
あたたかく触れているその想い。
私はついつい当たり前だと思ってしまうが、これは当たり前じゃない。
それを確かめたいと思った。
気づきたいと思った。
ひとつひとつ大切にしたいと思った。
そんな事を思った。
その夜めずらしく、娘が寝る前に私たちの部屋に入ってきた。
「一緒に寝ていい?」
娘は普段は自分の部屋で寝ている。
私は自分の横に招き入れて、娘を抱きしめた。
抱きしめながら小さい頃を思い出す。
娘は寝付きが悪いタイプで寝かしつけに苦労した。寝るまで私が抱きしめたり、絵本を読んだり、2人の時間は長かった。
抱きしめながら、この子の成長を思う。
この子は大きくなって、少しずつ友達や恋人や先輩などといる時間が多くなるのだろう。
親といる時間はどんどん少なくなっている。今だって昔に比べたらこうやって抱きしめることはあまりないし、娘は自分の部屋にこもることが多い。
我が子の寝息や体温を感じながら思う。
親が1番でなくていい。
どんどん素敵な人たちと出会ってほしい。
私はいつも思う。
娘だけではない。
私は誰かの1番でなくていい。
1番を求めるのは苦しい。
「あの人の方が好かれている」
それは自分をつらくさせるだけだ。
その人の1番じゃなくても、その人の片隅に置かせてもらうこと、そして例え、片隅にも置かせてもらえなくとも。
私がその人の事を思うだけで
その人との思い出で
感じた事があるならば
満たされるものがあるならば
やさしい気持ちになれるなら
背中を押してもらえるなら
反対にさみしくなったり
心が苦しくなることだって
涙をこぼすことも
そこには愛があるのだと思いたい。
愛はきっと相対的なものではない。
誰かが誰かを想うこと。
ただそれだけでいいのだと思う。
次の日、娘は気持ちよく起きてくれた。
「おはよう」
ココアを飲みながら私に挨拶をする。
最近の娘は、朝はうまく起きれず、体調不良で学校をお休みする事もあったのだが
夫と仲良く話しているその姿を見て
私は今日を乗り切る勇気をもらって
また確かに歩みをすすめていけるのだ。
愛は語れないが
愛について感じたり考えることは許されていると思うから。
またここに記していきたい。そう願っている。
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