adidasのカントリーと耳たぶの傷
「こんなところに傷があるんだね」
私の耳に傷があることに初めて気づいたのは、私の元同級生だった。
それはよく目をこらさないと見えない、小さな小さな傷だ。
そんなことを言われた私は、遠い過去、まだ記憶も定かではない頃の記憶を手繰り寄せた。私の祖母が三面鏡で毎日お化粧する場面を、そばで眺めていた幼少の頃の私は、祖母がいない間に引き出しにあったカミソリを手に取り、自分の耳を切ってしまった。
おそらく顔の産毛の手入れをしていた祖母の真似をしたのだろうと、後に祖母はタバコを吸いながら私に語った。
耳から血がしたたっている孫を見てさぞかし当時の祖母は驚いたと思う。
すぐに病院に連れて行かれ、傷を縫い、頭の上からまるで高級な果物のようにネットを被せられて、私は帰宅したらしい。これは同居していた叔父から聞いた話だ。「メロンみたいだった」とくすくすと笑いながら、叔父はテレビに映るインディジョーンズ・魔宮の伝説を見ながら私に様子を教えてくれた。
身体的な傷は目に見えるけども、当時の私は多くのものに精神的に傷ついていた。
高校に通えなくなってしまったこと。他の子と比べて鈍臭いこと。私は誰かの一番にはなれないこと。嘘をついてまわりに合わせて笑顔を作りまくっても、その場に溶け込めないダサい自分だったこと。どうでもいいものに消費されているのがわかっていても、それでもそれがやめられないこと。私がいなくたって何も変わらずに世界はまわっていくこと。
見えないけれども血は滲む。
今にも血がしたたりそうなぬくくて気持ち悪い温度を感じる。私は今の私であることを少しずつ壊したかった。慣れないアルバイトを初めてやってみた。髪の毛を男の子のように短くカットし、一部を金髪にした。
当時の私は、地元から少し離れた街に定期的に電車で出かけていた記憶がある。駅から無料のバスが出ていたPARCOに向かい、洋服を眺めたり、無印良品のお店をうろついたり、近くの映画館で映画を観たり、あてもなく1人でくらげのようにうろうろしていたように思う。
PARCOにはタワーレコードが入っていた。
私は「NO MUSIC NO LIFE」の黄色いポスターを見ることがPARCOに訪れた時のひとつの楽しみだった。私の好きな山崎まさよしさんが写っていた時に履いていたadidasのカントリーが、その日はやたら目についた。
私はその時から、どうしても私はその靴を手に入れるべきだと思った。
あれを履けばきっと私の世界は変わる。
なんの根拠も確信もないが、そう予感した。
靴屋さんに行って靴棚を眺める。
予想以上にカントリーは値段が高めだ。自分が持っているお金では足りないことがわかった。
いつかあの靴を履いてやる。
そのためにもお金を貯めなければ......と、苦手な接客業のアルバイトに勤しんだ。
お金は無事に貯まった。電車に乗って靴屋に向かう。その靴屋は今となっては場所を忘れてしまったが、駅から続くショッピング街の並びにある、小さな規模の靴屋さんで、店主のおばちゃんはいつもやる気がなさそうにのんびりしていた。客に興味がなさそうな雰囲気。それが私には大変都合がよかった。
自分のサイズのカントリーを手に取る。26cm。椅子に腰掛けて試し履きをする。革の独特な匂い。眩しくうつる白地に流れるような深緑のライン。きゅっとしめつけられるような安定感。どきどきしながらカウンターに持っていく。
おばちゃんは気だるそうにお会計をした。
その日から毎日どこに行くにもカントリーを履いた。もちろん山崎まさよしのライブにも履いて行く。入場口の列でまわりのファンを眺めると、彼がずっとトレードマークとして履いている靴を、同じように履いている人たちがいた。
私はにまにまとその様子を眺めた。
傷は少しかさぶたになったように思った。
今だから思う。
まわりの人に100%好かれることなんてできない。
誰かの一番になんてなりたくたって、自分を偽ってまで得た一番は、いつの日か必ず関係性に綻びがでてくる。
おしゃれじゃなくても
やせてなくても
頭が良くなくても
美人じゃなくても
お金がなくても
えらくなくても
そんな私でも付き合い続けて、笑顔をたむけてくれる人がいる。
そんなことさえ知らなかった。
若かったのだろうと思う。
世界を知らなかった。
私も私自身に対して捉えどころもなく、とても理解が曖昧であった。
あの時は痛みをよりどころにしていた。
痛みを感じることで、なんとか自分の人生を生きていた。
カントリーを履き始めた頃の私は、今の私からは遠い距離になってしまった。
けれども、あの街をたまに通り過ぎると、あの時の私がまだそこにいるような感覚に陥る。
PARCOもなくなり、映画館もなくなってしまったのだけれども。
カントリーも履かなくなってしまったけども。
息遣いはたぶん残っている。
おぼつかない表情をして1人行くあてもなく歩いている私を懐かしく思う日がくるとは、あの日の私からは想像もつかないことだ。
もう戻れない変わってしまった日々をたまに思う。
あの時、カントリーを履けたから歩んでこれた道を、静かにただ眺めている。
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