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【創作】Dance 6

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第6話 さびしい樫の木と雪かき


ドン、と衝撃があり、星一は床に倒れこむ。

ピピッとホイッスルが鳴り響いた。

見上げると柴野と部長がこちらを見つめていた。

バスケットボールがころころとコートの外へ転がっていくのを、チームメイトが取りに行く様子をぼんやりと眺めている星一に

「赤井、立てるか?」

と、部長が手を差し伸べた。手をつかんで、引っ張り上げられながらゆっくりと立ち上がる。足首に違和感がある。星一は少し足の筋肉のすじを伸ばしてしまったようだ。歩く時にやや痛みを感じることを部長に伝えた。

「赤井は休憩。柴野、お前付き添ってやって」

潤は罰が悪そうな顔をしてタオルで汗をぬぐいながら、星一に近づいてきた。二人で体育館の脇の入り口を出て、芝生の上に座り込む。近くに大きな樫の木がのっそりと立っている。木陰がきびしい夏の日差しをさえぎってくれるので、汗がほとばしる熱くほてった身体を少しずつしずめてくれた。潤はアイシングのために持ってきた保冷剤を小さくやわらかい青色のタオルに丁寧に包んで、赤井の足首に当てた。星一は無言でそれを代わりに持ち、潤の顔を見た。

「せいちゃんはさ。『さびしいカシの木』って歌、知ってる?」


「は?」


さっきまで罰の悪そうな顔をしていたはずなのに、潤が突拍子もないことを言い始めたため、星一は気の抜けた返事をした。



そんな星一の様子におかまいなく、潤は唐突に歌を歌い始めた。

山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木が
とおくの国へいきたいと
空ゆく雲にたのんだが
雲は流れて
きえてしまった

山の上のいっぽんの
さびしいさびしいカシの木が
私といっしょにくらしてと
やさしい風にたのんだが
風はどこかへ
きえてしまった

山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木は
今ではとても年をとり
ほほえみながら立っている
さびしいことに
なれてしまった

作曲木下牧子 作詞やなせたかし

「お前、いい声してるな!」

星一は、思わず大きな声で、潤の歌声に感心してしまった気持ちを素直に表した。

「あほか!なんでそんな反応なん。ほんまにおかしいわ、この人。……でも僕はそういうせいちゃんが好きなんや。」

潤は続けて話す。

「この歌、うちのおかんがよく歌ってた。おかんは音楽の仕事をしてたから、家でもピアノを弾きながらいろんな歌を歌ってたんやけど、特にこの歌はなんだか忘れられなくて」

「カシの木さん、さびしすぎるわぁって思ってた。いろんなものにふられまくってる。願いも叶わない。最後も一人ぼっちや。でもな『ほほえんでる』んや。なんでかなぁって、ずっと思ってた。なんで笑えるん?お前、頭おかしくなったんちゃうって…..思ってたんやけど。最近、やたらこの歌詞を思い出す。なんでほほえんでいたのかよく考えてみたいなって。でも、僕はさみしいのはやっぱり嫌やなってのもある。それは僕がまだ若い証拠なのかもしれない。それなりに欲もたくさんある。さみしいことにも慣れたくない」

体育館からゴールにシュートを決めたパスっと乾いた音が聞こえる。ドンドンとボールをつく音。キュッと運動靴が床をこする音。チームメイトのかけ声。星一は背中側から響いてくる練習試合の音を心地よく思いながら、潤が今話している内容に想いを馳せた。

大きくてさみしい樫の木

さびしいことってなんだろうと思う。

なんだか、写真におさめてみたい。

その大きなさみしい樫の木を。

どんないでたちでどんな表情をしているのだろう。

星一は「ありふれていて心が動かされる瞬間」をカメラで撮りたいと思っていた。

それは人と繋がる瞬間。
自由であることをイメージしていたが、欲の火種は「さみしさ」にも含まれているのかもしれない。

心がまた揺れる。新しい風がどこからともなく吹いてくる。



星一は潤の横顔を見ながら、ある疑問をぶつけた。


「今日、お前、やたら俺につっかかってくるなと思ってた。いつにもまして荒いプレーだなって。さっきもそう。わざわざファウルをおかしてボールを取りに来ることもなかった。なんか俺に思う事あるかな?言いたいことあったら言って」


潤は一瞬、複雑な表情をした。
それは、子供たちに無邪気に踏みつけられたような雑草のようでもあり、上手くふくらむことのできなかったオーブントースターの中の餅のような、なんだか頼りないものであった。
そして何かを確信して決意したように話し始める。

「『言いたいことあったら言って』ってせいちゃんは言う。僕は言いたいことは言うようにしてる。言いたいことを言えるように雪かきのように雪をかいてる。キミに対して降り積もった雪を、一生懸命かいてかいて一番下に…..地面に何が見えるのかを探し当てようと努力している。でも、かいてもかいても見えない時もある。自分の何かが….埋まっている何かを僕は何とかカタチにしたいと思ってる。でも今回はうまくカタチにできずに態度にだしてしまったんやな。それは謝りたいと心から反省しているところ....けどな...」

「せいちゃんは、僕に話していない事がある。僕はそのことを知っている」

「1年生の緑川さんのこと。僕に話してない。せいちゃん、あの子の写真を撮ってるでしょ。そして緑川さんにせいちゃんが期待している事も何となくわかっている」


「あれ?星一くん、足、大丈夫?」

聞きなれた声が聞こえる。

運悪く、たまたま体育館の横の道を通りがかった結月が声をかけてきた。
結月は星一が足を冷やしている姿を見て、心配した様子で近寄ってきていた。星一はそのことに気づかないくらい、潤の話に聞き入っていた。

結月は一緒に歩いていた友達たちに「先に行ってて」と話している。

星一は、潤と結月の簡単な説明を交えながらお互いの紹介をした。2人はにこりと挨拶を交わした。結月に足の事も心配しないようにと星一は今の状況を伝えた。
会話をしながらも彼は、潤に結月のことを話していなかったことについて、考えをめぐらせていた。けれども、今はとにかく、潤が自分に対して不満を抱いている事は口調や態度からもじわじわと感じられていたので、どのように話したらいいのかを考えあぐねていた矢先に

星一と結月を見据えていた潤が

見えない空気をひきさくように

最初の口火をきった。


「ままごとや」

「二人のやってることはずっと続かないし、いつか失われてしまう」

「自由ってそういうもんじゃない」

「せいちゃんは何にも見えてない。ことばにならないことを写真で表現?」

「この前のせいちゃんのばあちゃんと一緒や。ばあちゃんは自分の気持ちをことばにできないから怒りという感情で表現する。論理的に丁寧に『思い』を『ことば』に変換することができないのは、認知症があるからばあちゃんは仕方なしやけど。写真でアートで...全て解決か?あほくさ、そんなん僕に言わせると単なるままごとや。」

「せいちゃんはただの自己満足や。緑川さんのこと、自分のこと。何がそこにあるのか。僕みたいに雪かいてくれよ。降り注ぐものの正体をもっともっと細かく…..結晶のつぶまで、見届けてほしいと、僕は願ってる」


「悪いけど、僕、先に戻るわ」


潤は振り返らずに体育館に足早に戻った。


星一は潤に言われたことを飲み込むのがせいいっぱいであった。

正確には飲み込むこともできていなかった。

ただただ、彼とあの歌詞の「樫の木」が重なった。

さみしさが、抗いが、熱意が、期待が

星一を包み込んでいた。



結月は静かに様子を見ていた。


そのまなざしはぼんやりと遠くを見つめていて、小さい身体がますます小さく見えた。星一は我に返って結月に申し訳なさそうに話しかける。


「ごめん、潤が失礼なこと言ってたと思う。結月さんは気にしないでいいから」

「いや」

結月は口を開いた。

「潤さんの話していたこと、私はちゃんと受け止めたいと思うの」


じっじっじっと鳴き始めたアブラゼミが、樫の木にぴたりとはりついている。校庭では砂埃が舞っていて、サッカー部員たちが目を腕でおおっていた。スプリンクラーの水が風にあおられて跳ね回っている。

暑い夏の日差しの下で、星一と結月はふりつもった雪を想像していた。



それは儚くて、小さくて、今にも消えてしまいそうな、まばゆい光の結晶だった。


7話へつづく

挿し絵協力:ぷんさん



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