はじめて2人で暮らした日々とやまいもとリトルマーメイド
かばんにつめこんだのは、半袖と長袖のTシャツ、パーカー、ジーンズ、村上春樹の海辺のカフカ、iPod、国試対策の本、USB、そしてはじめて買った料理の本。
私は中央線特別快速で新宿まで出て、京王線に乗り換えた。ビル群がにょきにょきしている景色から、少しずつ少しずつ建物の高さが低くなり、空が広く見えるようになる。洗練された都市の街並みから、一般住宅も多くなってきた。緑も多くなる。
長いな、と私は思っていた。
私の住まいから目的地まで1時間半以上はかかる。気軽に行ける距離でもないし、電車の賃金も学生の私からすると安いものでもない。
春から私たちは専門学校の4年生となった。4年生は最終学年となり、ほとんどの日々を実習に費やすこととなる。
私が当時おつきあいしていた彼は、4月から東京の八王子に実習で行くことになった。期間は2ヶ月間。私は6月からの第2期の実習スタートとなっていたので、4月は卒論の準備や国試の勉強をするくらいで、比較的時間に余裕があった。
「一緒に来る?」
と彼に聞かれた。
私はほとんど一人暮らしもしたこともないし、他県に住んだこともない。
ど、同棲......ってやつなのか.....。
私に訪れるにしてはかなりのキラキラワードすぎないか。私にそんなイベントがやってくるとは......。
しかし、そんなキラキラしすぎたものでもなく、同棲するには切実な理由があった。
卒業したら結婚しようと言われていた。結婚自体もなんだかよくわからず、現実感もなかったが、私は先に述べた通り、一人暮らしの経験がない。
料理は実家の母親任せ。たまにお菓子を作ったり、エビアレルギーの母親の代わりにエビの殻をむくくらいしかやったことがない。洗濯物は畳むことくらいで、干したりなどは一切やらない。掃除は自分の部屋の範囲くらいで、トイレや浴室の掃除も全然しなかった。
なんと怠惰な娘だろうと、今書いていても母親に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、私は本当に家事らしい家事をせず、成人してしまっていたのだ。
「一緒に行く。そして結婚するために家事を私にさせてください!」と私は彼に思い切って懇願した。
世間知らずにも程がある私が、家族以外の誰かと暮らすなんて不安だらけではあったが、こうして私たちのはじめての2人暮らしが始まった。
駅は「山田」が最寄駅だった。坂のてっぺんにある山田駅の周辺は大きなビルは一つもなく、私の住まいの最寄駅より閑散としていた。小さな個人のお店や、家が立ち並んでおり、人通りも少ない。おじいちゃんとかが歩いている。
坂道を下っていって、そしてまた登って......八王子の街というのは、アップダウンが激しい。
辿り着いたのは、賃貸のアパート。備え付けの家具がついているマンスリー契約タイプのアパートなので、大きな家電などはいらない。小さなロフトがついていて、屋根裏みたいなスペースになっており、私はそこで寝ることになった。
窓を開けると、大規模な墓地が見えた。緑に囲まれていて、その向こうに大きな建物があり、それは調べてみると少年院だということがわかった。
ふふふ、なかなかのロケーションやないかい、と思わず関西弁になる自分に苦笑いをして、空気を吸い込んで窓を閉める。
彼の実習が始まった。平日は日中、1人となった。洗濯物を干し終えて、彼のベットに勝手に寝転びながら高い天井を眺めた。
「まずは買い物に行かないと」
私は意を決してパソコンで近くのスーパーを探す。
一番近いスーパーへの道を頭に入れ込んで、知らない街を歩き出した。
下って、また上がる。やはりスーパーへも坂道が多い。道中は公園が多かった。桜がほころんで開き始めていた。ベビーカーで親子が散歩をしている。公園でフリーマーケットをしている人たちが見える。散歩目的なのか、帽子をかぶってしゃきしゃきと歩く男女がいる。
やっとのことでスーパーへ辿り着く。メモを見て、はじめて買ったレシピ本の言う通りのまま、素直に買い物かごに食材を入れ込んでいく。
知らない街で知らない人たちの中で自分が日用品の買い物をしている姿は、とても不思議であった。スーパーの入り口に旗がひらめいていて「今日はお肉の日」と書かれていた。そうか、安いお得な日を意識して買うのもこれからは必要なスキルだなと、私は胸に刻んだ。
帰り道、片手に持った買い物袋のビニール袋が腕に食い込む。重たい。「たくさん買うと、持ち運びが大変なんだ」と考えてみると当たり前のことだが、その当たり前の体験を今までしてこなかった自分に気づく。
アパートに帰り、早いけども調理にかかった。
なにせ、料理自体ほぼはじめてなので、どんなトラブルがあるのかわからない。彼が帰ってきた時に料理ができていないなんてことが起きないようにしたい。実習から帰ってきてへとへとでお腹を空かせて待たせるなんて、悪夢である。
えーと、まずは具材を切るところから...。
包丁とまな板は、先日夫と訪れた八王子の駅前の100円ショップで購入したものだった。ザルもボウルもおたまも全部100円均一である。ビバ100均!
材料をざくざくと切ってボウルに入れる。
切ってみて感じたが、切るスペースが少ない。そして調味料を置くところもあまりない。
そうなのだ。マンスリータイプのアパートなので、台所はあまり充実した設備ではなかった。おそらく料理をする人用には設計されておらず、必要最低限の機能しか備わっていなかった。
コンロは1つしかない。しかも電気タイプであたためるのにめちゃくちゃ時間がかかる。お皿を洗っても水切りカゴを置くスペースもないので、片付けながらの調理はものすごく大変だった。
しかし料理初体験の私は「こんなものなのかな...」と戸惑いながらもなんとか料理に挑んだ。
この日のレシピは「牛肉とやまいものステーキ」
はじめてなので、切って、塩胡椒を振ってバターで焼くくらいの簡単なものにした。
なんとか完成したので彼を待つ。
彼が帰ってきて夕飯ができてることを伝えて、さっそく一緒にご飯を食べた。
しかし、彼はやまいもに一切手をつけない。
どうみてもやまいもだけが残っていく。
「えーと、おいしくなかったかな」
私はおそるおそる尋ねてみる。
「いや、そんなことはない。おいしいよ」
でもやまいもには手をつけない。
「もしかして、やまいもは苦手......?」
「いや、そうでもない」
しかし、やまいもは一切手をつけられず、この日の夕食は終わる。
私は残されたやまいもをかじかじしながら、あたまがはてなでいっぱいになった。
次の日も翌る日も、私はレシピ本を見ながら料理のレパートリーを広げるべく、さまざまな料理にチャレンジした。
作ってみてはじめて気づいたことがたくさんある。レシピ通りに作っていても味加減が薄かったり、濃かったりすることがあること。祖母が必ずお味噌汁の汁をおたまにうすく乗せて、私に味見をさせていたのはこのためか!と祖母の思い出が蘇る。おばあちゃん、私1人でがんばってます!と不意に実家の祖母が恋しくなってしまう。
パスタもはじめて作ったが、彼が帰ってくる頃には、パスタはのびのびのてろてろパスタになっていた。なるほど、パスタというものは直前に仕上げないといかんのだなと、また新たな気づきを得る。
作ってみないとわからないことがたくさんあった。そして買い物も驚きの連続だ。
スーパーの旗が「たまごの日」「魚の日」「冷凍食品の日」など日によって内容が変わっていた。お買い得はその日で違うらしい。そんな中で、思わず私が、旗の文字を二度見した日がある。
その日は「リトルマーメイドの日」と書いてあった。
リトルマーメイド???
頭の中にセバスチャンが出てきて「アンダーザシー!」と陽気に歌い出した。魚やタコやヒトデがくるくると回りだす。あるいはアリエルがフォークを手にして「よく見て〜素敵ね〜♩」と切なげに人間界への憧れを熱唱した。
私だけ、リトルマーメイドの意味がわかってないのか???八王子の人々には、当たり前のことなのだろうか。それとも、私だけ知らなくて世間一般常識なの??
リトルマーメイドとは、なんなのか。
帰ってから早速彼に話す。
「なんだろうね」
私はその返事を聞いて安堵した。
どうやら世間一般的なものではないようだ。
後日、リトルマーメイドの正体が分かった頃には、もう2ヶ月の実習も佳境に入っていた。
リトルマーメイドはそのスーパーに併設されたパン屋の名前で、その日はパン屋の特売日だった。
それがわかった時の私は、まるでアハ体験が訪れたような爽快な気持ちに包まれた。
と、同時にそんなことで悩んでいた自分が滑稽でおかしくて、しばらくにやにやとパン屋でパンを眺めてしまった。
スーパーの帰り道に人生初めての雹に降られて、つぶてが大きくてどきどきしたことや、八王子の春をなめていた私が、低すぎる気温にぶるぶると震えながら、持ってきた服を全部重ね着してしのいだことなど、数々の思い出がある。
彼は結局、やまいもが苦手なことをしばらく経ってから白状した。
それどころか、オクラや納豆、さといもなどねばねばした食べ物が苦手ということが、一緒に住んでみてわかったのだ。
私はこの時、2人で暮らしてみてよかったと今でも心から思える。
家事に対する不安も経験を重ねて少なくなったし、一緒に住んでみないとわからない価値観が、お互いに結婚前に発見できたことがいい体験になった。
迷ったらなんでもやってみようという気持ちはこれからも忘れないようにしたい。
チャレンジに失敗はつきもので、鈍臭くて不器用でうまくいかないことが、私の人生の大半であるが、今この年になっても「はじめて」はまだまだ私を待ってくれているように思う。
あの日2人で暮らした毎日と、やまいもとリトルマーメイドの苦い思い出は、結婚してもうすぐ20年になる私にとって、思わず微笑んでしまう、しかし今でも鮮明に思い出せる、若かりし頃に思い切って選んだ道の一つであって、私をカタチづくっていることを忘れないようにしたい。
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