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ファイティングポーズだけはいつも取っているんです

戦いを挑むためにリングに上がろうとするが、始まってもいないのにセコンドからタオルがすぐ投げられてしまう。

「待って!私はまだやれる。まだ!戦えるんだ!」

ほとんどの試合はすぐ退場となってしまう。

この日のために食事にも気をつけて、体調も整えてきたのに・・

何で、やらせてくれないんだ・・・


え?

ボクシングの試合でもやっているのかって?

違います。

「献血」の話です。


このニュースを見て、コミケの偉大さを改めて知りました。(行った事はありませんが、毎回すごい伝説が生まれているところだというのは存じ上げております)


私は献血の機会があれば(その時に何か特別な用がなければ)必ず参加しています。

なぜなら、残念ながら400ml献血ができる体型ですし(必要以上に大きく育ちました)

血を抜かれることは苦手ではないですし(血液が吹き出してくるのが楽しくてじっと眺めてしまう)

何よりRH因子がマイナスだからです。

1940年、Landsteinerラントシュタイナーと弟子のWienerウィーナーは、人の赤血球にアカゲザル(Rhesus monkey)と共通の血液型抗原があることを発見しました。そして、この抗原の有無によって分ける血液型をRh血液型としたのです。
今日、Rh抗原は非常に複雑ですが、一般には C ・ c ・ D ・ E ・ e などの抗原がよく知られています。Rh陽性やRh陰性という表現は、これらのうちD抗原がある場合をRh陽性、ない場合をRh陰性としています。
日本人のRh陰性の頻度は0.5%で、白人の頻度15%に比べると相当低い率となっています。
(AB型のRhマイナスの血液の出現率について)
日本人ではRhマイナスは200人に1人、AB型は10人に1人ですから、同じAB型でRhマイナスの人は2000人に1人です。
<日本赤十字社のホームページより>

私は1000人に1.5人の割合の中の1人ということになります。

このことを知ったのは、高校生の時に献血ルームに友達と初めて行った時のことでした。

すでに献血をしたことがある友達に連れられて、私は初めて献血ルームを訪れました。そして、献血ルームではお菓子やジュースが食べ放題であることや置いてある本が読み放題であることに大変感動してしまいました。

「エリーゼがこんなに食べられるなんて・・夢じゃないかしら、天国?」

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食べ物につられた私は「またあの天国に行こう」とこの時からすでに決意を固くしていました。
そして後日、献血ルームから来たはがきの結果を見て初めて自分がRH−因子を持っていることを知ったのです。

それまでの十何年間、私はこの事実を知りませんでした。

「そっか〜貴重な血液なら献血した方がいいな」

RH−の血液を持っていると、献血所から突如はがきが来る事もありました。

RH−の血液が不足しています。ぜひ献血をしにいらして下さい。

そういう時は私の貴重な血がたぎります。

「行ってちょっと人助けせなあかんな〜貴重な血やし(エセ関西弁)」


何しろRH−だと面倒くさいことがたくさんあります。特に女性は第2子出産時に注意する事があり(血液型不適合が起きる)私も第2子妊娠中に抗Dグロブリン投与を行ないました。

だからそんなRH−の仲間達への、せめてもの、私にできる唯一の人助けらしい行動として、献血は何が何でもしたい派なんです。

そんな私にとって幸運なことが起こりました。勤めている職場に半年に1回献血車が来るようになったのです。

最初は順調に献血を重ねていたのですが、子どもを出産したあたりから、私は献血ができなくなってしまいました。

毎回、血沈の検査でひっかかるようになってしまったのです。
原因はわかっています。私の貧血です。

「すみませんが、基準値に満たないので、ジュースでも飲んで今日は帰って下さいね」とやさしい笑顔の献血スタッフに言われて、何もせずにジュースを飲んでいる自分がとてもみじめです。

「私はまだやれる!まだ、何もしていないのに、誰か私の血をとってくれ・・!」

それからはほうれん草やレバー、牛乳などを意識して取るようにしています。

私はいつでもまた、リングに立てる日がくるようにコンディションを整えています。

私のリベンジマッチはいつ来るかわかりません。(献血車は突然来るのです)

しかし、いつ戦ってもいいように、今日もポパイのようにほうれん草をむしゃむしゃしながら、私はその日を待ち望んでいるのです。

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