マガジンのカバー画像

ひとりひとりのものがたり

23
仕事での出会い、出会ってしまった人たちの物語の断片を書き綴ったもの。高齢者のナラティブ。
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

クリスマスだけどおせんべいでもいいね

「服がないのよ」 「ズボンが窮屈なのしかなくて。持ってきてもらわなくちゃね。」 私は紫色のシルバーカーを押す80代の細身の女性と歩いていた。彼女は当施設へ入所している利用者さんだ。時間はちょうど午後の3時頃。 「そうですか。もしかしてタンスに入っているかもしれないから、一緒に見に行きましょうよ。」 私と彼女はおもしろいくらいに毎日この会話のやりとりをしている。 問いかけも答えもおそろしいくらいに一緒だ。 そのまま、彼女の部屋に入る。 ベッドに座って一緒にタンスの

盆栽とネコのいる庭で

「ねえ、あなた盆栽いらない?」 「いいえ、けっこうです。私には手に負えませんよ。」 毎回同じやりとりだが、それは私たちにとって、なくてはならないいつものあいさつ。 *** 車はメイン通りから1本入った静かな道の小学校のすぐそばにある、とある住宅へと向かっていた。石畳の駐車場は広く、およそ3台分の駐車スペースを有しているため、訪問車の軽自動車なら余裕を持って停めることができる。 私は車を停めて、広い敷地へ入っていった。 庭は綺麗に芝生が植えてあり、雑草は生えていない

ジェームスとボンドがいた日

ある日、私が勤めている施設の裏庭に、突如として2匹の子やぎがあらわれた。 体のサイズはとても小さく「メェ〜」と鳴く姿は大変愛らしかった。 田舎の老人保健施設では、心が躍るようなビッグイベントや目が覚めるようなハプニングが起こることは大変少なく、非常に牧歌的な毎日を職員も利用者さんも過ごしている。 東京から来ている非常勤療法士に「ここはガラパゴス(諸島)みたいだね。」と(おそらく半分バカにされながら)言われたこともあるくらいだ。 そこで彗星の如く現れたこの2匹の子やぎたちの