ゴジラと戦後
ゴジラは戦後日本がその国力を最もぶつけた存在と言える。昭和29年以降、政治力、経済力、軍事力、あらゆる日本の“力”がゴジラと向き合い続けた。ゴジラとは何か。少しだけ考えてみようと思う。
ゴジラは、日本の東宝が1954年に公開した特撮怪獣映画『ゴジラ』に始まる一連のシリーズ作品および、それらの作品に登場する架空の怪獣の名称である。これら一連のシリーズ作品のことを「ゴジラ映画」と呼ぶこともある。(Wikipediaより引用)
水爆実験によって凶暴化して東京を襲うゴジラは、しばしば「反核の象徴」「空襲の記憶」などと評価される。もちろん初期のゴジラ作品の側面としては的を射ているが、それらに終始してしまう言説には首肯しかねる。それらの要素だけでは現代まで老若男女に愛されるコンテンツとしては成立し得ないからだ。また、必ずしも戦後日本は「反核に向き合い続けた」「空襲の記憶と向き合い続けた」とは言えない。むしろそれらは戦後日本の様式美に集約され、本質の忘却を重ねたように感じる。ゴジラというコンテンツが70年にわたって消費される理由は、より根深い深層心理にあるだろう。
現実対虚構
平成28年に総監督・脚本を庵野秀明が務めた『シン・ゴジラ』が公開された。
僕はこのポスターを見て「まさに」と思ったことがある。それは「虚構」と書いて「ゴジラ」とルビを振っていることだ。そう、ゴジラは虚構なのだ。なに当たり前のことをと思うかもしれないが、これは案外大切なことである。
『ゴジラ』において、ゴジラは徹底的に虚構として描かれた。『ゴジラ』にて登場する山根博士はこのように述べている。
このnoteを読んでいるみなさんはお気づきだろうが、そう、200万年前はジュラ紀ではない。人類の進化ですら700万年前まで遡れるのだ。この数字は明らかにおかしい。これは製作者側のミスだろうか。いや違う。『ゴジラ』の原作者とされる香山滋は豊富な古生物学の知識を有していた人物であり、この間違いは恣意的であると考えるのが妥当である。
この恣意的な間違いは、ゴジラを虚構の原始から現代日本という現実に這い上がってきた超越的な力を持つ怪獣に仕立て上げた。また、虚構であるということはそこに製作者ら人間の意図が介在することを意味する。
ゴジラは何を破壊したのか
昭和20年日本は敗戦を迎えた。『ゴジラ』が公開されたのは昭和29年なので、ゴジラは戦後10年も経たぬ日本に上陸したことになる。
ゴジラによる東京の破壊はまさに戦争の惨劇と同じものだった。水爆実験によって生まれた怪獣という設定とそれによってもたらされる破壊は、当時の日本人に広島・長崎や東京大空襲を想起させる要素としては充分すぎた。その恐怖は想像に難くない。
さて、ゴジラは多くの建物を破壊した。その最も有名な建物は銀座和光であることは間違い無い。『ゴジラ』を観た当時の社長がブチギレたことで有名なあの時計台である。ではなぜ銀座なのだろうか。
銀座は、西洋化・文明開花の玄関口として明治10年にその都市計画が完成した。道の端にはガス灯が置かれて夜も明るく、馬車鉄道が行き交い、人々は洋装を纏っている。それはまさに、西洋に追いつこうと日本人が己をかなぐり捨てて得た近代の象徴でもあった。
近代日本の結末は、当時の『ゴジラ』観客が自分の記憶や体験と重ねたであろう戦争だった。原始に絶滅したはずのゴジラが近代の象徴である銀座を蹂躙し戦争を観客に思い出させることは、ゴジラが近代主義/西洋主義へのアンチテーゼとして名乗りを挙げたことを意味する。観客たちは戦争の恐ろしさを思い起こすと同時に、自分達を支配してきた文明を破壊するゴジラに興奮を寄せた。
キングギドラとの闘争
昭和39年に公開された『三大怪獣 地球最大の決戦』では、ゴジラの永遠のライバルであるキングギドラが初めて登場した。
キングギドラは宇宙からやってきた完全に地球外産の怪獣である。三本の長い首と黄金色のデザインはヤマタノオロチや伝説状のドラゴンのような、実在の生物や恐竜をモデルにしたゴジラやモスラとは対照的な異世界の象徴だった。
対照性はバックグラウンドだけではない。ゴジラが近代文明を破壊したように、キングギドラは神社を破壊した。ゴジラは日本の神社仏閣には手を出さなかったが、キングギドラはそれをやってのけた。
神社仏閣を破壊する侵略者キングギドラと富士山を背にして戦うゴジラ達のシンボリックな対照性は、当時の日本が国際社会に打って出ていく世情を投影したシーンと言える。
ゴジラとは何か
ゴジラとは何かと考えてみると、日本人のコンプレックスを体現したゴジラ像が見えてきた。また、水爆実験によって生まれたというゴジラの境遇は、近代主義に加担している自覚のある日本人に責任を感じさせる。
そのようなゴジラ像を用いて映画を撮る時、ドタバタ怪獣映画であれば思想の無法地帯となり、一種のシリアス映画であれば一本のメッセージ性の高い映画となる。この使い勝手の良さもまた、70年愛される理由と言えるだろう。
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