ウォールマン

第二羽 約束
ブーブー 携帯の着信音が部屋に鳴り響く。目を向けると画面には病院の名前が映し出されている。映し出された文字に息が止まる。そこには昨日の日付で弟が死んだ事が記されていた。雪は携帯を伏せると毛布を被った。
どれくらいの時間が経ったのだろう。気づくと1週間と言う時間が過ぎ去っていた。起き上がると冷蔵庫を開ける。空になった冷蔵庫に目を通すと静かに扉を閉める。天井を仰ぐ。ふとポケットに手を突っ込むと小さな紙片が出てきた。開くとそこには『beens』と書いてある。紙片をポケットにしまうと風呂へと向かった。シャワーを浴びると携帯を取り出し地図アプリを開く。『beens』を検索すると家を出た。
10分ほど歩いた後、路地に入り20分ほど進むと『beens』と書かれた看板が目に映る。雪は扉の前に立ち止まった。ここをくぐる事はこの世への別れを示唆しているように思えたのだ。ドアノブへ手を伸ばす。手を戻す。手を伸ばす。手を戻す。同じ動作を無意識に繰り返す。何度かの動作に手が疲れを感じ始めた頃、ドアが内側から開いた。
「あ、ごめんない」
ドアの先には少女が立っていた。雪は軽く身をひく。
「あ、いや、」
「中に入るさ?」
少女は顔を近づける。雪は顔を逸らす。
「どうした?日和(ひより)」
中から軽い男性の声が聞こえてきた。
「えっとね、変な人が店の前にいるさ。どうしたらいい?」
「変な人?」
少し気だるさを含んだ返事と共にその男は雪の前に現れた。
「おお!雪!よく来たな。ほら、中に入れ」
雪の目の前にはあのスーツ姿が印象的な男が立っていた。男に連れられ中に入る。店内は食堂と喫茶店の中間といったなんとも言えない空間が広がっている。そして、窓側に2人の男性、カウンターの角に1人の男性、2人の女性が座っていた。男はカウンターに腰掛けるとマスターのような白髪の店員に飲み物を注文した。
「雪、まあ、座れよ」
優しい口調で語りかける。雪は促されるまま席に着いた。
「自己紹介まだだったな。俺は立花おと(たちばな おと)、よろしくな。初めましてじゃないのはわかるよな?」
おとの言葉に対しても雪は俯いていた。
「雪、お前は何でここに来たんだ?」
おとの声色が変わる。
「もうどうでもいいかなって」
雪は俯いたまま答える。おとは立ち上がると店のドアを開けた。
「雪、帰れ。ここはお前がいる場所じゃない。誘っといてなんだがな」
雪は無言のまま立ち上がり、そしてそのまま店を出た。ガタン チリンチリンドアの閉まる音だけがこの場に響いた。

「ちょっと意地悪過ぎやしませんか?」
白髪の男性がおとに声をかける。おとはカウンターに腰掛けるとカップを手に取った。
「んー まあでも、死人も同然の俺たちだからこそ生きる意味を大切にしなきゃな」

雪はフラフラと日が沈みかけた道路を歩いていた。その足が止まったのは病院前まで来た時だった。目の前の自動ドアが開く。雰囲気からか清潔感からか周囲の目が雪に向いた。雪は静かに歩みを進める。
「あ、雪くん!」
遠くの方から1人の女性が声をかけてきた。雪が目をやるとそこには雀の担当をしてくれていた看護師が立っていた。雪は軽く頭を下げる。
「本当に良かった」
看護師は雪を抱きかかえると震えた声を放つ。
「え?」
弱々しい声が漏れる。
「全然連絡取れなくて、今回の件でその、雪くんも大変なことになってるかもしれないって心配してたから」
涙を流しながらに語られる言葉に胸が苦しくなる。
「雀の遺体はどこにありますか?」
本意だったわけではない。ただ、雀に会いたいという気持ちだけが先行した。すると看護師は涙をぬぐいながら息を整え冷静に言葉を選んだ。
「もうここにはないの」
「そうですか、」
雪は自分自身が思うよりも冷静に返事を返す。看護師はその返事に対し少し驚いた表情を浮かべていた。
「言い訳になるかもしれないけど、自治体には何度か問い合わせたんだけど、、」
「ありがとうございました」
なんとなく受け入れがすんなりとできる気がした。兄弟2人しか肉親はおらず、唯一の肉親である雪ですら消息を絶っていたからである。雪は深々と頭を下げると病院のドアへと歩みを進めた。
「ちょっと待って」
後ろから先ほどの看護師が慌てて追いかけてきた。手には紙らしきものが握られている。
「これ、雪くんには辛くなっちゃうかもしれないけどこれだけは雪くんに渡さなきゃって思って」
手を開くとそこには紙が1枚あった。雪はその紙を手に取り広げる。拝啓 兄さんへ
元気してる?僕は気持ちは元気だよ。正直な話手紙書くのは苦手だし、今後は書くつもりはないけど一応文字に残しとこって思いました。今までありがとう。いつも僕のことばかり気にかけてくれていて本当に幸せだった。忙しくても、迷惑だと言わずに笑顔でいてくれた兄さんがとても大好きだったし、誇らしかった。病気が治ることはないとわかっているけどもし治ったら兄さんにめいいっぱい恩返ししたいと思ってる。兄さんは強くて優しい。僕のヒーローだ。

手紙にポタポタと目から雫が落ちる。とどまることを知らない雫はどんどんと紙の色を変えた。その姿に看護師は雪の背中をそっと撫で続けた。

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