現実感がまだない。

ここに書くべきではないかもしれない。
けど、自分の人生の一つの覚書として記しておこうと思う。
今日、17時49分。
警察署から電話があった。
親父が車にはねられたらしい。
現場は歩いて数分のところ。
偶々その時間帯の仕事がキャンセルになっていたので、電話での一報を聞き若干取り乱しつつも妻に車で一緒に送ってもらい、その現実を見る。
相手の車のフロントガラスは運転席側がびっしりと割れている。加害者の姿も見た。もう、免許を返納してもよいのでは?と思えた年齢に見えた。
雨が降ってた。この時期なので、日が暮れたこの時間は一番見にくい上の雨。決して視覚的に良好とはいえないコンデイションの路面状況。
親父は昨年、水頭症の手術をしたものの歩行はゆっくりでないと歩けない。しかし、若い時から歩くのが楽しみな人なので、87歳にも関わらずほぼ毎日どこかに出掛けている。今日はうちの家に風呂に入っての帰りだった。
普通に歩けば5分もあれば帰宅できる場所なのだが、親父の歩みでは2時間ほどかかったらしい。その道中にある唯一の車道を横断して家路にたどり着く直前にはねられた。

現場に着いたものの救急車に乗せられて全く事故後の親父の顔は見ないまま、警察官の質疑応答に暫く答えたのち、電話に掛かってくる救急隊員からの指示に従って搬送される病院に向かう。

30分ほどかけて病院に着いたら親父を乗せていた救急車とすれ違った。
初めて入る総合病院に、時間外はどこから入ったらよいのか分からず右往左往。ようやく入り口を見つけて受付を済まし、しばし椅子に座って待つ。
すると、緊急外来の病室から親父の声が聞こえてくる。耳の遠い親父だから出す声もでかい。結構はっきりと喋っている。どこかしら安堵の気持ち。

待つ。ひたすら待つ。何もすることがない。
時間外にもかかわらず、色んな怪我や病状を訴えて患者さんが入ってくる。失礼ながらちょっとしたドキュメンタリー番組をリアルに見ている感覚。

それから2時間ほど経った。ようやく親父と対面。幸いにも最悪の事態は現時点では免れた。ただ、何が起きるか分からないという点では予断は許されないが、とりあえずは痛々しい姿を目を伏せるように見ながら声をかけて励ます。が、耳が遠いのでなかなか伝わらない。
そして親父を乗せたストレッチャーはICUに移動される。一緒についていくがコロナ対策で途中で別室に案内され、親父はそのままICUへ。

さらにそこから待つこと1時間。
看護師さんが来て入院のための説明が始まる。記入しなければならない山のようなプリントの説明を受け、ひたすら住所、名前、電話番号等々を何枚も書く。看護師さんはいったん退席。
20分ほど待つと今度は担当医師からの説明。懇切丁寧に輸血のリスクのお話からこれからの流れまでお話を拝聴し全書面にサイン。そして医師は退席。
更に30分ほど待っていよいよ最後の確認。全プリントの記入チェックのあとようやく今日はとりあえず終了。
と書くと、とても事務的な内容をただこなしている冷徹な人間に見えると思われるかもしれないが、率直な感想込みの記録。
そして23時を回った中、車を延々走らせ帰宅。
親父に関しては、本当に最悪の事態にならなかったのは不幸中の幸い。

ここまでのこんな暗い内容を読んでここまで辿り着いて頂けたのは感謝。
書きたかったのはここから。

自分が事故した経験がないわけではありません。ただ、人身事故の被害者の家族を経験するのは初めてでした。
警察からの最初の電話を耳にしてから親父を病院で見て帰宅するまでの間、全く脳が働きませんでした。
いつもどこかでふわふわと遠くから客観視している自分と、担当者から説明を受けて記入したりするときの判断が出来ている二重人格的な感覚。
こんな一大事なのに何の感情も抱かずただひたすらその過ぎていく時間に流されるだけな感覚。
そして、とてつもなく重たい虚無な徒労感だけが蓄積されていく感覚。

事故の加害者に良心がある人であれば、この上に圧し潰されそうな罪の意識と責任感が覆い被さってくるのであろうけど、親父をはねた高齢者はそんな感じには見受けられなかったな。

本当に事故っていうのものは、加える側も被る側も、その周りの人まで巻き込んで莫大なエネルギーを吸い取られてしまうものだと感じました。何の利益も生まないエネルギーの消費は本当に今回で最後にしたいと痛感です。

明日からは今日の出来事を現実のものとして認識しながら、通常ならば全く通らなくて良かった道を敢えて通らなければならず、しばらく無駄な労力と時間だけが過ぎていくのかと思うとゾッとします。

今回のお話は、自分に対してのこれから先の戒めの覚書でした。
数時間後に提出しなければいけない書類と連絡の山の為に寝ます。

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