サラダ

「サラダの取り分け」で女子力を計るな。セクハラで訴えるぞ

ってくらい、飲みの席でサラダを取り分けると

「女子力〜」

と煽るシーンを幾度となく見て来た。

それしかないのか、お前は。

だとすれば、コミュニケーション能力の欠如だ。お前はこれを読め。(押し売り)

と、まあ「サラダの取り分け」で女子力を計って良いのか論争は自分の中で尽きない話題なのですが、この記事で思いをまとめようと思う。


「女子りょふぅ〜」と茶化すな

身なりに気を遣うことを「女子力」と称するのは良いけれど、料理ができて、掃除・洗濯もこなせて、部屋が綺麗で、、、といったことまでも「女子力が高い」と評価するのは、家事=女性の仕事という、なんとも古くフェアじゃ無い悪しき文化があっての表現だ。セクハラだ。

だから飲みの席で「サラダの取り分け」を、配膳=家事=女性の仕事=女子力という、ダサい等式で「女子りょふぅ〜(女子力)」と茶化すのはおよしなさい。


サラダを取り分ける人=気が利く人

これでしょ。
お皿、お箸の配膳、近くにサラダがあればよそってあげる。それって、女子力でもなんでもなく、気が利く人じゃないか。なのにその一連の行動を、自分はノータッチで「女子りょふぅ〜(女子力)」と茶化すお前は一体何様だ。得意げに恋愛を語るな。そのあと来た唐揚げがお前の分だけ足りない状況下に置かれろ。先祖様に感謝して懸命に働いて税金を納めろ。受信料も払え。


逆に「女子りょふぅ〜」を浴びる為にアピールする女も、寒いからお金だけ払って帰ればいい

反対に、茶化される側に問題がある場合がある。「サラダを取り分ける」同じ行為でも良い女ぶる下心は見透かされてるぞ。ということがある。そういう女は、同性から嫌われるし、本質ではなくカッコつけにしか過ぎないから長く続かないし、男子ウケ狙いが寒い。極寒。凍る。

その女自身、配膳=家事=女性の仕事=女子力という、ダサい等式を認めてることになる。この女はサラダではなく、男子ウケを取ったのだ。言う方も悪いが、言われようとする側もよくない。こう言った各々の自己中な言動が「サラダを取り分ける」=女子力などと言う偏見が蔓延っている所以なのだと思う。やる善よりやらない偽善もわかるが、やるなら自然にやって欲しい。


ちなみに、このようなことを申しておりますが、僕は飲み会自体に呼ばれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?