AI vs反AI 勝つのはどっちだ!
などと煽った見出しを付けてしまいすいません。
本記事は、AI学習主にイラストについての自分自身の考えをまとめさせていただきたく書かせていただいております。すごく長くかつ見づらくなっておりますが皆様の考えの一助になればと思っています。
まずお前は一体どっち派なんだいと思う方もいらっしゃると思いますが、以下に示す考えは一体どっち派なのか自分ではわからないので最後まで読んでいただいて勝手にレッテル張りなりなんなりしていただければと思います。それにここでどちら側か明記してしまえば、この話題に関心のある人の半分は読んでいただけないと思いますし(笑)。
インターネット上のイラストAI学習について
汎用的にデータを学習させる場合、これは現状文句のつけようはないように思えます。
(なんだAI絵師かよってここで読むのをやめないでほしいです__|\○_)
現行の法律においてインターネットのデータを学習させることは問題ありませんし、現在多くの絵師は既存のイラストなどから着想を得ておりAIと絵師がやっていることの違いを納得のいく理由で説明することはなかなか難しいように思えます。LoRAを用いた特定絵師の集中的な追加学習については著作権に関して議論の余地は現状でも存在するかもしれませんが正直どうなるかはわかりません。
しかしこれらは現状問題ないといっているだけで正しい行為といえるかはまた別の議論でもあることを押さえてほしいです。
「法律でAI学習は禁止されてないんだよ。お前ら絵師はバカだろ」みたいな発言について
AIイラストに関する議論でこのような発言をよく耳にしますが、これは半分正しいですが半分は間違っているように思えます。
確かに法律は遵守すべきものではありますが、法律が正しいことをいっているかは常に議論される必要があります。さもなければ昨今の103万円の壁なんて議論は必要ありませんしなんなら国会なんて必要ないのです。法律自身も自らは常に完璧に正しくあり続けられるとは思っていないため、法律内に法律を変えられるような仕組みを作り、社会や文化の発展や技術進歩に対し流動性をもって適応しようとしているのです。法律は正論をいうのには役に立つのかもしれませんが正議論を語るにはいささか不十分なのです。法律は正義を下すものですがくれぐれも法律で正義を下すものではやめましょう。
したがって法律論は本質的なAI学習の是非の本質ではなく今後より皆が幸せになるためには法律はどのようになるべきかを議論することが大事です。
反AI絵師は令和のラッダイト運動なのか
これもよく反AI絵師を揶揄する発言として見かけますね。これについても一向の余地は存在します。確かにイラストを作成する技術的観点に沿って言えばその通りでAI学習反対とただ高らかに声を上げるのはラッダイト運動と揶揄されても仕方ありません。しかしイラストというのは技術的側面を持ちつつも芸術やエンタメ的な側面も持ち合わせており、既存のラッダイト運動と一概に同じとすることもできません。イラスト創作はいままで上位技術が存在しない特殊なエンタメであったため絵師は今回の騒動に対し上手に対応できていないのでしょう。残念ながら今後の手描きイラスト界隈に技術的側面の唯一性はございません。だからもし反論したいのであれば技術的側面への反論はもっともではなくエンタメ的な側面からの反論をしましょう。
「お前らはゲームのチーターやスポーツのドーピング、トランスジェンダーには怒るのにどうしてイラストのAIには怒らないのか」などと。
(このことについては後で議論します)
しかし現状……
技術の進歩が幸せにつながるかはおいておきその進歩を止めるのはなかなかに難しいご時世でございます。資本主義という競争に明け暮れる現在は、「AI学習は間違っている!だから規制する」と1国が技術に対して規制を行っても他国が足並みをそろえるかはなかなかどうしてありえません。だから冷戦において軍縮にはかなりの時間がかかったしなんなら現在も軍事産業はつづいています。激しい競争は新しい技術によって生じるデメリットを考慮する時間など与えず、いかに相手を出し抜くのかというのが現状であります。一部の欧州では足並みをEUによってそろえることができるためクリエイターの保護などからAI学習に関して否定的な結論もできるかもしれませんが世界中でそれができるかは不明ですね。
よって基本的にはAI学習については規制されず今後も一定の軌道修正はありつつも進んでいくという見方が正当であり、今後を考察するのであればそのシナリオを選ぶのが適当でしょう。AIの法律に対する考えが進んでいいかんじに解決すればいいですがそれならいちいち語る必要はないので今回はあえてしません。
手描き絵師の今後は
デジタルで描いているのに手描きとは(笑)みたいな反論はおいておき今後手描き絵師はどのようになるのでしょうか。
AI絵師について
まずAI絵師は現状、イラストの技術的側面によって新技術に対する先行者利益を得ています。したがって反AI絵師が著作権だのモラルなどといって企業などの参入障壁を築いている間に、そのイラスト界隈のモラルの壁が通じない人々(別に悪いとは言っていません。モラルというのは決して共通認識ではあらず押し付けるものでもありません)が参入し独占利益を得ていることから現状を最も喜んでいるのはAI絵師の方々でしょう。むしろAIイラストの参入が進み先行者による利益特権がなくなったとき、AI絵師はかつてパソコンオタクがIT時代を無双していたころからIT土方と蔑まれるようになったのと同様にただの安い労働となり下がるでしょう。だれでもAIイラストの最先端を走れるという制限のない状況は10年20年より先の時代に現在同様の利益を得られるかはわかりません。しかし技術を飯のタネにしている人たちは実際どんどん新しい技術へ参入していき土方になったら安月給で人を雇い、別分野に挑戦するというビジネスモデルですので何ら問題ないようにも思えます。
手描き絵師について
次に手描き絵師について、今後技術的側面においての最先端を行くことは無理であり今までのイラストの技術的独占(イラストを手に入れるには絵師に頼むしかない)という状況は消え、イラストが欲しいだけのクライアントからの単価は必然的に下がりいずれ消えるように思えます。したがって手描き絵師は今後自分の価値を芸術的側面やエンタメ的側面にもっていかなければなりません。
エンタメが成立するうえで重要な要素は
1,ルールの明確化
2,努力や工夫が伝わる環境
3,そのエンタメを応援してくれる人々
だと思います。
まず1についてこれは2の努力や工夫が伝わるようにするうえで非常に大事な要素のように思えます。人はズルができる環境では彼らの努力や工夫を正当に賛美できません。前述したサッカーでのドーピングやゲームでのチーターは根絶されてこそ、サッカー選手やプロゲーマーは正当に評価されるのです。手描きにおけるルールを明確化し他の努力が無に帰すような仕組みをなくすことでそのエンタメに関わる人々が最前線を走る人たちを尊敬できるようにしましょう。具体的に言えばAI加筆はどうするのかなどを決める必要があります。あるいがアイデアを出す際や、参考資料にAIを見る・使うのはいいのか。しかしこれらルールを明確化するにあたってその逸脱者を発見できる技術的仕組みというのは必要になると思います。AI加筆を手描きのエンタメで許さないのであれば使用したことを見抜けるような仕組みがないとルールを明確にしても何ら意味がないので。AIを使用した際にAI使用マークが作品につくような仕組みがあればこの問題は解決するので手描きの人々はそれに期待しましょう。ドーピング検査薬が必要だ。
つぎに2についてですがこれは手描き絵師は大きなポテンシャルを秘めています。なぜなら手描き絵師一人前のイラストを完成できるようになるまで多くの努力や工夫が必要だからです。これは現状AIにはない手描き絵師の特権であり長所であります。手描きイラスト界隈が培ってきた努力信仰や尊敬文化はそれらに興味がない人々にとっては往々にして馬鹿にされがちなものでもありました。近年の傾向として努力を嫌う傾向にあり、自分自身もなんでもかんでも努力という言葉で片付けられるのは嫌ですがこれは好きなこと以外に関する努力に関してだと思います。好きなことに一生懸命な人を見ることは多くの人々に感動を与えます。そしてその努力や工夫がなるべく認められてほしいし、人類自身AIに対し論理的思考でどんどん差をつけられていく中、何らかの幸せを探求するうえで論理的な思考よりもなんとなく好きだと感じたものに対して努力するような幸せに価値を与えることがこれからの希望のいったんになるように思えます。手描きイラスト界隈の努力信仰や尊敬文化は実は技術的側面よりもエンタメ的側面で活躍するように思えます。好きなことに対する努力って意外と楽しいし無駄ではないですよ。
2ではなかなか精神論的なことを話してしまい、本来であればもっと論理的な考えもあったはずなのですが忘れてしまったので最後に3についてエンタメの本質でもあり1と2はこのためにあるようなものですので論理的側面から述べさせていただきたいと思います。
実際エンタメが成立するには資本主義においてはお金が必要です。技術的な側面からの金銭の要求ができなくなるであろう手描きイラストは前述の努力や尊敬によって経済を回す必要があります。それには手描き絵師を応援しお金を出してくれる人々が必要であり彼らはこれに注力すべきでしょう。下手に荒れて界隈の裾野を狭めるより若い世代に手描きイラストすばらしさや感動を伝え夢を与えることで参入を増やし界隈を盛り上げエンタメとして成り立つようにすることが大事です。
手描き絵師は現状AI絵師になかなか技術的にかなう人々は少ないですがエンタメ的側面については努力や尊敬という面で大きく勝っています。AI絵師には努力は存在しないため(もしかしたらしているのかもしれないがそれを認められる人は現状少ない)エンタメ的には見ていてそのイラストの美しさやきれいさという技術あたりがストロングポイントになると思います。それは今後の技術発展で進歩してそのストロングポイントはより著になっていくでしょう。
よって本シナリオにおいて2つの違う界隈が目指す関係は、ずばり
サッカー(手描き)とサッカーゲーム(AI)の関係です。
メッシは松風天馬にかないませんが、それはメッシが優れていないということではありません。人間の知能や運動能力は決して機械にはかないませんがそれらが優れている人が卑下されるわけではありません。技術発展に伴い今後も残り続ける職業って以外と一定の制限が存在するエンタメなどの分野かもしれません。
これら2つの界隈がこれらの関係を築くためにAI絵師は手描き絵師のことを必要以上に煽らずしっかり尊敬をもって接しましょう。AI絵師はよく2次創作を手描き絵師の批判材料として挙げますが、それらは意外と原作に対するリスペクトがあるからこそ許容されている面があります。もちろん明らかな悪意ある2次創作やも存在するでしょうが、それら一部の悪意が存在するからと言って自らの行いの悪意の正当化には何ら寄与しません。リスペクト元があるのですからしっかりとリスペクトしなければスポーツゲームで存在する選手から訴えられることもあり、今後の法律の動向によっては似たようなことが起こるかもしれませんよ。
手描き絵師も手描き絵師で気持ちはわかりますがAIに対してやたらなんたらの否定するのではなくできてしまったものは仕方ないので、手描きが好きでまた好きなものに全力でたいのであればエンタメとして成立するように前進しましょう。ただ壁を作っているだけでは衰退する一方なので、壁が壊れる前になかの町が存続できるようにしましょう。人って意外と人以外には怒りません。手描き絵師さんはAI学習そのものではなく尊敬もなく自分たちの努力をしたり顔で馬鹿にしながら学習させている画面の向こうの人間を想像して怒っているのではありませんか。悪意はいやなものですがそれで目を曇らせないでください。意外とあなたのそばにあなたを慕ってくれている人はいますよ。エンタメは応援してくれる人がいる限り成立するのです。大事にしてあげてください。
(補足としてAI絵師の芸術的側面について触れていなかったので一応。
AI絵師、特にAI加筆を利用することに現状芸術的側面があるかは正直わかりません。なにか表現したいものであってそれのためにAIというツールを用いて表現するというのは間違いではないように思えますが、なにか表現したいものをなんらかの形で出力する際、脳みそを介し方が薄いというのはどうなんだという考え方もわかります。しかしいずれにしてもその芸術を表現する際に前述の悩みを抱えるのは作者であり部外者が決める権利はありません。また受け取る側がなんだAIかよ、これは芸術ではないと感じるのも自由だと思います。表現が伝わらない芸術は廃るだけですから。手描き絵師はもともと芸術的側面においても一つの最前線的な側面があったと思いますがそれもなくなります。しかし、なにかを表現したいといううえで決して最先端である必要はありません。デジタルよりもアナログがよいこともあります。1つの色の絵の具を使って表現することもあります。筆ではなく指や他の道具を使って描くこともあります。デジタル絵描きの芸術的側面を着目するのであれば自分が表現したいもの、その表現の仕方に優劣はないのでむしろちょっと制限をかけた芸術も考えてみてはいかがでしょうか。)
何らいろいろ書き忘れたこともある気がしますが疲れたので終わりにします。
長文駄文失礼します。ご付き合いいただきありがとうございました。
ただ書いただけなので誤字脱字、あるいは考えがあればどうぞご指摘ください。
気が向けば直します。恥ずかしくなったら消します。