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夢を持とう ~令和5年度那須塩原ジュニア陸上閉講式~

3月。
とある人にとっては旅立ちの季節。
とある人にとっては、いつもと変わらない昨日の延長の今日を歩いているのではないかと思います。
私はと言えば花粉症の症状が酷く、毎日ティッシュを抱えて生活する有様です。
全国の花粉症患者の同志の皆さん、頑張りましょう。

さて、3月といえば卒業の季節です。既に全国のほとんどの小・中・高校・大学で卒業式が行われ、人生における区切りを経験した方も多いのではないでしょうか?
皆様、改めましてご卒業おめでとうございます。
我が那須塩原ジュニア陸上クラブにおいても、卒業の季節がやってまいりました。
この記事を書いているのが令和6年3月23日(土)なのですが、この日にクラブの令和5年度閉講式を行いました。
 
今回の記事では、この1年間の振り返りと、私が子供たちに対して贈ったメッセージを記事にしました。

令和5年度を振り返る

今年度の始まりは困難な船出となりました。令和4年度まで活動していたコーチの一人が諸事情でコーチングができなくなり、残された人員でクラブ運営をしていかないといけない状況。毎日手探りで、どうしたらいいのかを考えていたのが4月の頃の話です。
思い返せば、仕事しながらよく色々なことを考え、夜遅くまで書類を作ったりと、まあ頑張りましたね。正直きつかったですが、これはこれでいい教訓になったのではないかと思います。
 
保護者の方々には、クラブが新体制になったことで色々とご迷惑をかける部分が多かったものの、その中でも大会に参加するために様々な協力をしてもらったりと、大変お世話になりました。
保護者の皆様のご協力に対し、この場を借りて感謝申し上げます。

卒業する6年生へ

さて、今日の閉講式で私が卒業する6年生に伝えたことはこの2つです

①後悔しない競技人生を

卒業する子供たちの中で、中学進学後も陸上競技に携わる予定の子は、毎年だいたい半分くらいで、数としては10名くらいです。
その子たちには後悔しない競技人生を送ってほしいと伝えました。以下はその内容です。
 
「誰しもがいつかは第一線の競技者を退く時が来ます。それが中学かもしれないし高校かもしれない、大学かも、実業団かもしれません。いつまでも競技をできるわけではないのは、全員が同じことだと思います。」
 
「自分が競技を辞めるとなった時、『やっぱりあのとき、こうしておけば良かったな・・・』と思ってほしくないと思っています。そう思うのも、私が競技を辞めることになった時に、大きな後悔を残して辞めた人だからです。」
 
「みんなが知っているように、私は箱根駅伝を2回走りました。でもそのうちの1回は、目の前でたった5秒足りずに襷を繋げませんでした。そしてそれが大学4年の時。実業団に行って競技を続けたものの、鳴かず飛ばずで満足に競技をできず、中途半端な形で引退せざるを得ませんでした。だから、自分の陸上競技者の引退時期は実質大学4年の時なのです。」
 
「あらから6年経ちました。今でも後悔しています。やり直せるなら人生やり直して、もう一度箱根駅伝を走りたいと思うほど後悔しています。人生のたった5秒でも、もう取り戻せない5秒もある。そのことを知っておいてほしい。」
 
「その上で、今、この一瞬を大切にしてほしいと願うのです。陸上競技は、決して楽しい事ばかりではないし、競技の年代やカテゴリーが上がれば上がるほど毎日厳しい練習の繰り返しだったり、上手くいかないことのほうが多い毎日を過ごすことが多くなります。
でも、そこから逃げてしまい、その一瞬一瞬を大切にできないと、最後の最後にギリギリの勝負になった時に負けたり、『もっとやっておけば・・・』と後悔することがあるかもしれません。その例が私の箱根駅伝なんです。」
 
「私と同じ道を歩むことが無いよう、一瞬一瞬を大切にする、時間は守る、挨拶はしっかりするというような、当たり前のことを大切にしてほしいと思います。当たり前のことを当たり前にできてこそ、最後に笑うことができる選手になれるのではないかと思います。」

②夢を持とう

もうひとつ伝えたのが「夢を持つこと」です。
 
「皆さんの中には『全国大会に出たい』とか『お金持ちになりたい』とか、『○○で有名になりたい』とか、色々な夢を持っている人がいると思います。皆さんの夢は何ですか?」
 
「陸上を続けても続けなくても、ぜひ夢を持って未来に突き進んでいってください。夢ではなくても、目標でもいい。何か『自分がこれをやりたいんだ』という信念のようなものを持ってほしいと思います。」
 
「この先みんなが大人に近づいていくと、陸上競技の場合は中学、高校、大学、実業団と、進めば進むほど競技レベルは高くなり、ライバルも強くなり、その中で戦わないといけません。当然、上手くいくことより苦しいことのほうが多くなるでしょう。苦しいことが続くと、人は必ず弱気になります。私もそれぞれのステージで、上手くいかないことのほうが多かった人間なので、時には気持ちが後ろ向きになることもありました。それほど世の中は厳しく、少し努力したからといって目標が叶えられることは少ないし、むしろ夢が夢のままで終わることもあるかもしれません。」
 
「それでも私が実業団まで陸上競技を続けられたのは、夢があったからです。それぞれのステージで抱いていた夢が。」
 
「自分の夢を信じられるのは自分しかいません。抱く夢は、自分が負けそうなときに、自分を支える大きな柱になるはず。でたらめでもいい、もしかしたら本当に無理かもしれなかったとしてもいい。自分がやりたいことを信じ続け、願い続ける。そうすればいつか本当に叶うかもしれないし、叶わなかったとしても、その過程で努力したことや感じたことから学ぶことのほうが、もしかしたら人生で役に立つかもしれません。」
 
「私の夢は、今日ここを旅立つ皆さんの中から、いつか箱根駅伝や世界の舞台で活躍するような選手を育てることです。そして、そんな選手がいつか那須塩原に戻り、この那須塩原ジュニア陸上のコーチとなり、今度は自分が選手を育てる。そんな未来を作りたいと思っています。皆さんの夢は何ですか?

まとめ

私の拙い言葉で、どのくらい想いが伝わったかは分かりません。
それでも伝え続けるしかないのだと思います。それが今の私にできることなのかなと。
 
6年生のみんな、卒業おめでとう!
みんなの明るく幸せな未来を願っています!

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