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60代からの生活①~丁寧な生き方

先日、妻が入院している時につぶやいた言葉が、

「これからは丁寧に生きたい」だった。

とても深い言葉に思えたが、さて、である。

丁寧に生きるとは、何ぞや

何となく雰囲気は分かる。

今までのような、毎日何かに追われるような生活。

生きているのか、ただ時間を費やしているのか。

一体、何をしているのか分からない暮らし。

そんな毎日から抜け出したいという思いのことだろう。

何となくわかるが、抽象的だと感じ、調べてみた。

「丁寧な暮らしとは、日々の何気ないことに、手間と時間をかける暮らしのこと」

とある。

よくわからない。

「自分にとって大切なものや事柄と丁寧に向き合い、

そのひとときをゆっくり楽しむこと」とある。

いまいちピンとこないが、どうやら「自分にとって」というのが、大事なことのようだ。

つまり、「自己満足」。

言葉は悪いが、大事なことではないか、と思う。


自己中心的とは違う。自分自身が満足できる暮らし。

特別なことではないはずなのだが、意外と難しいものだ。

だが、60歳を過ぎたのだ。もうそういう生き方でもいいのではないか。

妻の言葉に気づかされた。毎日を丁寧に過ごす。

好きな物事にこだわって、時間にゆとりを持ってすごすことは、

きっと癒されて、最高の毎日になるだろう。

妻は、入院したことで今までの毎日を振り返ったのだろう。

そして、そのことに気づいた。

もうこれからは、ストレスを感じない暮らしがしたい、と。

果たしてそんな毎日が送れるのか、甚だ疑問ではあるけれど、

そのように生活を変えたい、と思うのは大切なことだと思う。


私は「丁寧な暮らし」という言葉は初耳だったが、

巷では、2010年代半ばから流行っているらしい。

丁寧な生活が憧れの対象としてメディアで紹介されたり、

芸能人の発言などで注目されている。


しかしその反面、批判されることも少なくない。

それは、未だにSNSに投稿されているからだが、

それを「あるべき姿」としてプレッシャーに感じるからだともいわれている。

だが、もともとは、「自己満足」の話である。

ひと手間や少しだけ時間を費やして、

充実感や達成感、幸せを感じるのが、本来の実践者の理由であり、

世間や周りの人々とは関係がない。


もちろん、始めたもののやめてしまう人もいる。

その理由は、お金がかかるとか、手間や時間、精神的余裕がなくなったなどである。

やめる人は、自分のこだわりのものを選ぶのを、主としているが、

手間や時間をかけるのが「丁寧な暮らし」であり、そのズレが続けられない理由であろう。


私たちは、別に豪華な、上質な暮らしをしたいと思っているわけではない。

経済的には、必要な分があればいい。

簡便さがあり溢れている毎日の中で、

普段の暮らしに、自分たちの色を付けて、

自分たちにとっての「豊かな暮らし」をしていきたいだけである。


60歳を過ぎた私たちにとって、

それが、幸せな生き方だと感じている。

妻が退院した今、私たちは少しずつ始めている。



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