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視覚優位と宣伝効果について

自分は多分、視覚優位である。
多分というのは、自分でもはっきりとそう感じているし視る能力が高く聴くことが苦手だと言われているが、「視覚優位」という言葉は用いられたことがないからだ。

それはともかく、最近この視覚優位性について気になってることがある。
それは、コマーシャルだ。

コマーシャルといっても色々なものがある。呼び込み君みたいな音による宣伝、ポスターなどによる視覚的な宣伝、そして意識に訴えかけたり集団を利用する宣伝がある。
自分はこの中でも、視覚的な宣伝に弱いのではないかと考えるようになってきた。

特に感じやすく分かりやすいのは食品のパッケージ。
美しく魅惑的で整った写真。事細かに描かれる味の詳細。心の奥にまで入り込んでくるような…それが自分にはたまらなく魅力的であるのだ。
食品はわかりやすい例だが、他の視覚的なコマーシャルでも同じような感じ方をしているのだろうと自分は思う。

ただ、それだけなのだ。
心で大きく育った宣伝文句に対して実物は大したことがなく、視覚以外で得られる喜びも多くない。
むしろ宣伝について考えを巡らせている時間のほうが幸福なのではないか。
結果として、金や時間を無駄にしてしまったと感じることも少なくない。

他の種類のコマーシャルには今一つピンとこないが、視覚的なコマーシャル一つでこんなにも動かされて無駄にもしてしまう。
視覚優位であるという前提で話すが、その視覚優位なだけでここまでの危うさを秘めて生きている。
自分で考えててもちょっとゾッとするような、そんなことを考えていた。

それでも、また今日も結局美味しそうな宣伝文句のお菓子を食べてしまうのだろう。そしてまた太るのだろう…

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