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優しかった兄の裏の顔は鬼畜すぎる性犯罪者だった

僕が小学校に入学した頃に両親が離婚した。

離婚の理由を母に尋ねると「お父さんは良い人すぎたから悪い人に騙されたのよ」と言った。

口元は笑っていたが瞳には悲しみが溢れていた。僕は子供ながらに、きっと母は触れて欲しくないのだと察した。

だから僕はそれ以来母に離婚の理由を訊ねるのを止めた。

それまで暮らしていた新築の家にはもう住めなくなっていたから、母は僕と兄と妹の3人を連れて古い2Kの市営住宅に移り住んだ。

生活はかなり困窮していた記憶がある。ご飯に醤油をかけるだけの食事が何度もあった。

もともと心の病を抱えていた母は、仕事を頑張りすぎると、その反動で何日もカーテンを締め切った真っ暗な部屋で布団を頭からかぶり寝込まなければならなかった。

兄はそんな母を支えてあげたいと、中学を卒業するとすぐに泥だらけになりながら土木関係の仕事をして生活費を稼いでくれた。

必ず月に一回は食事や映画に連れて行ってくれる優しい兄だった。

兄のおかげで、僕と妹は無事に高校を卒業することができた。

僕と妹にとって兄の存在は父親のようなものだった。

そんな兄も今から約3年前の2019年3月16日に亡くなった。34歳の誕生日を迎えたばかりだった。

死因は窒息死だった。

国道に面した自然公園内にあるブランコのパイプに結んだロープに、首を吊った状態でぶら下がっていたのを、早朝に散歩をしていた老夫婦が発見して通報してくれた。

監察医によると死亡推定時刻は深夜の2時頃らしい。

所持金はわずか62円だった。後にわかったことだが、亡くなる1年ほど前からこの公園の駐車場で平日の夜に度々車中泊をしていたらしい。

パトロール中の警官に何度か職質を受けていたこともわかった。

実家で同居していた母にしてみればまさに青天の霹靂だった。

なぜなら兄は、亡くなる1年ほど前に転職した某警備会社の制服を着て、いつもと同じ時間に母に「夜勤に行ってくるね」と声をかけ、翌朝も変わらず母に「ただいま」と声をかけて帰っていたからだ。

しかしそれは事実と違った、実際に調べてみると兄はその警備会社の面接すら受けていてないことがわかった。

それどころか、長年勤めていた土木会社を2015年に退社して以来まったく働いていなかった。

4年もの間どうやって生活していたのだろうという疑問が湧いた。

自分の生活費だけではなく母の生活費も必要だったからだ。

というのも母は一応年金をもらっていたが、それは微々たるもので電気代程度にしかならない金額だったからだ。

 

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