夏のいち日

私にはタトゥーが入っている。二の腕、胸、脇腹、太もも、足の甲。私は夏でも半袖やサンダルは履かない。他人に威圧感を与えるからだ。こうして10年以上積極的に晒さぬように生きてきたが、この夏、転機が訪れた。知り合い数人とタトゥーOKの公衆浴場へ行くことになったのだ。私は拒絶したが強く誘われたため勇気を出して行った。人前で裸になること自体抵抗があるものだが、私の場合はタトゥーが入っているという後ろめたさがあった。社会通念上許されないもの、自分が疎まれて当然の存在だと思い込んでいた。しかし、そこでは私はただの人だった。裸になってタトゥーを晒していても、殊更に指を差されることもなく(知らないところで陰口言われてたかもしれないが)恐ろしい出来事は起こらなかった。

そもそも私がタトゥーを入れたのは自分への罰のようなものだった。そのくらい自分が嫌いであった。どこから来るのかわからない“許せない”という気持ちが私へと降り注ぎ、何年も身動きが取れない状態で、体を傷つける以外に苦しみをやり過ごす術がなかった。過食やリストカットが発展してタトゥーに移行しただけであったので、晴れ晴れとタトゥーを楽しむ人たちに対してもコンプレックスがあった。

タトゥーを肯定する人にも否定する人にも心から同調することができず長らく孤独であったが、“公衆浴場を利用する私”はなぜかそこから自由だった。社会に受け入れられた気がしたのだ。気のせいかもしれないがその気が私には重要だった。ただそれだけで自分を肯定する気持が湧いた、夏のいち日だった。



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