「わからない」に思う
私は「わからない」
という表現が好きです。
「わからない」→「分からない」は
分けられないということで
分けられないから明らかにならないんだけど
明らかにならないことが
明らかになってしまったと。
ここにとても「謙虚さ」を感じるのです。
そして
この「わからない」を
未知のもの全てを含んでいる言葉として
私は使っていて
そこには
「わからない」「認識し得ない」ことへの
畏敬の念のようなものも含んでいます。
(だからと言って、別に神仏を崇拝している訳では
ありません。)
また、「わからない」には
人間の可能性も感じます。
「わからない」からどうでもいい!
となるのもありかも知れませんが
そこには、ひたむきな
「わかりたい」
があるように思うのです。
もちろん、存在そのものを「わかる」ことなどないと
承知の上で、
しかも、この「わかりたい」は自我だと
それも承知の上で、
そういうひたむきさが
人間らしくていいなあと
つくづく感じるんですよね。
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