「生きていく」ということはなくならないの。たとえ物語でも。
非二元のメッセージは
それを知って
この物語を眺めたり
苦しさからの
逃避のために使うものじゃありません。
ただ、そうだと言うだけで
他に、何の意味もありません。
でも、一度このメッセージが
落ちたら
ある意味
ここに現れている存在に
覚悟のようなものが
沸いてくる可能性があると思っているので
お話しています。
けれど
もう一度言います。
この世界は
ただそうであるということ。
それを
何かに使うことはできません。
一周回って、最終的には
私達にとってはリアルなこの現象世界を
どっぷり生きるのがいいと
思っています。
このメッセージに触れて
現象は現象だ!、意味ない!
ストーリーはいらない!
などとなっていくと
それはただの乖離で
おかしなことになっていくと
私は思っています。
もし
このストーリーには興味がないから
云々……
と思ってしまうようなら
ストーリーを感じたくない
何かがあるのかもしれませんね。
私達は現象です。
この現象世界は
現象にとってリアルな世界です。
そして
一瞬一瞬
ここしかありません。
ストーリーのど真ん中で
この存在感をありありと感じたらいいんです。
ていうか
勝手に感じるんです。
非二元のメッセージに触れても
やっぱりガッツリ
普通の生活するんですよー
というお話でしたw
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