「私」は全部はわからない
すごい技術や功績。
本当にすごいと思う。
この世界の私から見たら
すごいなーと、思う。
ここの感覚から見れば
すごいなーと、思う。
でも
全貌は見られない。
この世界は全部
「きっとそうだ」ということで動いてるんだな。
ないものをあると仮定して
成り立つ世界。
思い込みで出來た世界。
間違いなくこうだ、と言えることなんて
何もない。
何一つない。
「こういうことだ」
と納得したい自我が
すぐイキイキし出す。
私達はそういうものなんだ。
「そういうことか、わかった」
となることはない。
そう思ったとしたらそれはイメージ。
ないものをあるとして扱うイメージ。