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自我は思いたい〜「このままで良かった」と〜(ちょっと長くなってしまいました)

「今のこれしかないんだから」
「変えようにも変えられない今のこれしかなかったんだから」
「ずっとあるのはこの意識なんだから、
そしてそれは変わりようがないんだから」
「なんだ、このままで良かったんだ…」

というのは、
まあ、そう思ったら思ったなのですが、
「このメッセージ」とかで言われてる
「これ」とは違いますね。
そう思ったらそうなんですが、そのメッセージが指そうと(指せないんでね)してる内容ではないというね。


でね、このように理解することは、
自我にとっては心地良いことなんですよ。

あ、自我にとって心地良いことが悪い、
と言うんじゃないですよ。

単に、心地良いんですね、こう言う理解の仕方。


何でかと言うと、
「肯定」されるでしょ?
「自我」。

「あゝ、このままで良かったんだ、私…」って。

「変われないんだもの、変わらなくて良かった。」
「今のままでぜんぜんOKだった」

そして、
「苦しかったけど、なんだかホッとした…」
「安心した…」

と言って安堵の涙を流したり…ね。


それの何が悪い!?って言わないでね。
ほんと悪いとかじゃないから。

ただ、この流れ、スピリチュアルとか心理とかを
お勉強されてた方、好きでハマってた方なら
ピンときませんか?


そう…

同じじゃないですか?
そこでやってたことと。


結局非二元の探求が起きて、表面上は
「私が楽になりたいわけじゃない!」
と言い張ってても、

だいたいは
「私、楽になりたいの!
私、安心したいの!寄り添ってほしいの!
そのままでいいと確認したいの!」
なんですね。

そのままでいいと確認したいのは、
自我って、基本自分は変わりたくないからね。
自分は好き勝手やりたいからね笑
あと、自分は正しいと思い込んでるから、
というか思い込みたいから
(正しいと思い込んで自分を守る必要があったわけだけど)。
全肯定してほしいんだな。

まあ、こう言っても「そんなことない!」
と認めてくれない場合もありますけどね。

でもそうまでして、
「私が楽になりたいとかそんなんじゃない!!
真実が知りたいだけ!!」
となるのはなぜなんでしょうね。
そうまでして何を「得たい」のでしょう?

スピーカー達がよく言うフレーズに
「私は楽にならないよ」
がありますよね。

「うんうん、それは知ってる。だから
別に楽になりたいとか、そんなんじゃない。
純粋に知りたいだけ。」

と思いますか?

「私には知り得ないことなんだよ。」

と言われてるのに?


ね?笑

そこには、
「知り得ないことを知れたら、気づきが起きて
私が楽になれないことがわかったら、
『楽になれるんじゃないか?きっと』」
とという隠れ思考がないですか?

そして、
他のみんなは気づいてないことに気づけた優越感みたいなものを欲してないですか?

もしそうだとすると、
それを期待してる、欲してるのは何でしょう?

それは紛れもなく、「自我」ではないでしょうか?

だからね、わたしは思ってるんですよ。


それならそれで良くない?笑


「楽になりたいわけじゃない。
真実が知りたいだけだ!」
というのじゃ実はない、
「私を肯定してほしい」
に素直でいいんじゃない?
と。


そしてね、
そういう風に思ってたら、その「気づき」?
とやらが起きないとかじゃないんでね笑

ほんと、そんな「内容」なんて
ただの「内容」なので。
何思ってたとしても関係ないんですよ、
気づくときは気づくから。

あ、話がズレた…

で、まあ、冒頭で書いたことは
「このメッセージ」と言われてることでは
ないけれど、
それで「楽に生きられ」てそれでいいなら
それもいいよね、と思います。

「みんなが気づいてないことに気づけた!」
になったとしたら、それは勘違いだけど。

でも、「楽になりたい」
が、もし本音なら、
私は「非二元メッセージ」なんか
おススメしませんけどね。

ちゃんと、腕のいいセラピストの所に行った方がなんぼかいいと思ってます。

ここで、
「そういう世間のセラピーとか、
スピリチュアルとか、そういうのは違う!」
とか思いだすとしたら、自我が「非二元」に
すごく特別感を抱いているのかも知れませんね。

自我が、非二元がわかったら、
「揺るがない楽」みたいなのを得られるとか、
感じてるのかもしれませんね。

そしてまた、非二元に拘ってしまうのは、
プラス「特別感」「優越感」も欲しいからかも
しれません。


ともあれ、どうしてもしんどいなら、
「非二元」というわけわからないメッセージに
翻弄されるより、
他のメソッドで自我を救って癒してやればいいと
わたしは思ってます。

もう一度言いますが、その非二元でいう
「気づき」とやらは、セラピー受けてようが
受けてまいが、気づくときは気づくので。

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