見出し画像

タケミカヅチの導き

「青い律動の嵐の年」が始まったかと思ったら、もう2週間が経とうとしている。新年2日目に神戸、3日目に大阪でイベントを行った私は、更にもう一泊して、久々に奈良での探索を行うことにした。

普段とは異なる場所に身を置くことで起こる多次元回路の活性化は、やはり普遍的なもののようで、今回も色々と驚きの体験をすることになったが、印象が鮮明なうちに、まずはタケミカヅチに関するシンクロについてまとめておこうと思う。

マイクさん&麗さんと

新年最初のイベントは、古神道研究家マイクさんとの初コラボで、会場には彼のパートナー麗さんのお父様による絵画作品がいくつも飾られていた。それらの作品が、日本神話に登場する神々のエネルギーを表現したものだったこともあって、刺激を受けた私は、終了後のお茶の時間に、自分の書作品の中から「武甕雷男神」を作品化した時の画像を、マイクさんや麗さんにお見せしていた。

その後、場所を移すために外に出て、お隣の表札を目にした私は、もう一度目を見開かずにはいられなかった。なぜなら、そこには「武甕」と書かれていたからだ!

55年近く生きてきて、これまで「武甕」という名字の方に出会ったことはなく、そういうお名前の方がおられるのを知っただけでも十分驚きに値するというのに、ほんの少し前に「武甕雷男神」をシェアしたばかりの状態でそれを目にしたのだから、流石にシンクロ慣れしている私でも、衝撃を受けずにはいられなかったのだ。

ちなみに、タケミカヅチノカミは、『古事記』だと「建御雷神」、『日本書紀』だと「武甕槌神」というように表記されているのだが、私は書作品としての文字バランスなども考慮して『先代旧事本紀』に見られる「武甕雷男神(タケミカヅチノオノカミ)」で作品化することにしたのだった。

確かに、その日、KIN20(7・太陽)は、KIN241(7・竜)の私にとって「神秘のパートナー」(キン合計が261になる最も神秘な関係)に当たる日で、こういう出来事が起こっても全然不思議ではなかったのだが、話はこれだけは済まなかったのである。

そもそも、マイクさんとのコラボは、ホゼの『マヤン・ファクター』をきっかけに始まった話だった。彼の学んでいる古神道の世界観とこの本で提示されている銀河マヤの視点に共通項があるということで、互いの研究と体験に基づいて話をしてみようということになったのだ。尚、『マヤン・ファクター』の邦訳は高橋徹さんと滝元隆伸さんがして下さっているが、私はその滝元さん(KIN190)に誘って頂いてパレンケを訪れたという経緯がある。

加えて、2年前の2022年8月17日(KIN91)、ハーモニック・コンバージェンス35周年当日に、鹿島に移住された滝元さんをLと共に尋ねてもいるのだ。ちょうどその直前に行われた天真書法塾の発表会用に制作したのが「武甕雷男神」という作品だったので、そのお礼参りも兼ねて鹿島神宮(御祭神:タケミカヅチノオオカミ)にも参拝している。

鹿島神宮

当時の様子は【鹿島神宮のご縁「森英恵とパカル王」】にまとめてあるが、これもある意味、滝元さんが鹿島に移住されたからこその話であって、自分から積極的に鹿島神宮参拝を計画した訳ではなかったのだ。

話を7/27(KIN20)に戻そう。懇親会の場で、私は『マヤン・ファクター』を若者向けに要約したのが『時空のサーファー』で、その本を捧げられたホゼの息子ジョッシュ(KIN211)との縁を自分が感じていること、その日ものぞみ211号で関西に来たこと、更には、この作品に刺激を受けて松任谷由美(KIN21)が『スユアの波』というアルバムを作った話などをしていた。

しかし、少し疲れが溜まっていたのか、目の前にユーミンと同じKIN21(8・竜)の方が座っていたのにも関わらず、その点については全く触れずに「明日が誕生キンですね」という話だけして、他の話題に移ってしまったことに後で気がついた。

お昼から懇親会まで、ほぼ半日に渡って充実した時間を過ごした後、大阪に移動して宿に到着。連日の高温多湿に加えて、睡眠不足も続いていたので、この日は爆睡できるものと思っていたが、結構、何度も目が覚めて、もう十分寝たと思って起きることにしたのが6時位のことだった。

オリンピックでも見ようかとテレビをつけると、何とNHKの時代劇『塚原卜伝』の一場面であることが判明。やけに若い堺雅人が登場していたので調べてみると、2011年10月2日(KIN22)からBSで、2013年1月24日(KIN241)から総合でも放映されたドラマであった。

ちなみに、KIN22はロイディーン、KIN241は私の誕生キンだ。それどころか2013年1月24日は、ホゼの母エセルの生誕104周年(2回目のカレンダーラウンド)&ホゼの生誕74周年当日だ(この時ホゼは既に銀河の帰還していたが生きていたら2013年銀河の同期はKIN241で迎えていたことになる)。そんな背景を持つ作品が、なぜかKIN21の朝6時過ぎに放映されていたのである!

アグエイアス夫妻とのこの関係性だけでも十分驚きに値するが、塚原卜伝は鹿島神宮の神官の家に生まれた剣豪として歴史に名を残した人物である。そういえば、鹿島神宮の境内で、やたらと「塚原卜伝撮影地」という看板を見かけたが、あの看板はこのドラマのものだったのか!と一人興奮しつつ納得したのだった。

それにしても、前日のタケミカヅチ・シンクロに続いてのこの思いがけないシンクロには、やはり強いメッセージ性を感じずにはいられなかった。前夜、眠るのが遅くなってしまった私は、朝8時くらいまでは寝ているつもりでいた。それが、結局6時頃にはパッと起きてしまい、テレビをつけたらそのチャンネルのまま『塚原卜伝』が始まったのだ。

五輪が始まってもテレビ放映を追跡する習慣がない私は、仮に朝6時に目覚めても、家にいたらテレビはつけていないだろう。出張先の宿だからこそテレビという選択になったのだ。そして、始まった画面が「塚原卜伝」だと認識できなかったら、私は他にチャンネルを回してしまったかもしれない。それこそ五輪で何か魅力的な競技でも放映されていたら、そちらを見ていたと思う。こうした全ての条件が揃って、タケミカヅチ・シンクロは起こったのである。

せっかく早く目覚めたので、KIN21(7/28)はまず大阪天満宮に参拝して1日を始めた。その後、「13の月の暦タイムスコア」の原画が展示されているチャクラさんで3つのクラスを終え、終了後に晩御飯も頂いてから奈良に移動。チェックインした部屋のナンバーは、何と817であった!前述の通り、滝元さんと共に鹿島神宮を訪れたのは2年前の8/17、ハーモニック・コンバージェンス35(=5×7)周年当日。

しかも、私はその半年後の2023年2月1日(KIN259)にも、実は剣武天真流本部正師範の合宿で、再び鹿島神宮を訪れているのである。結果的に、それが最後の本部正師範合宿になった訳だが、ここまで来ると、完全にタケミカヅチノカミの導きとしか思えなくなってくる。

何故なら、延泊して7/29(KIN22)に奈良散策をしようと思った理由の一つは、奈良に新居を構えたウィウソン&倫子に会うためでもあったからだ。彼らは、本部正師範の中心メンバーとして共に剣武の活動を支えた仲間で、鹿島神宮の境内で「塚原卜伝撮影地」という看板も一緒に目撃した仲なのだ。

奈良で再会することになった日付が、『塚原卜伝』が放映された2011年10月2日(KIN22)から「13の月の暦」のツォルキンがぴったり18(=9×2)回巡ったタイミングであったことも、私には偶然とは思えないのである。KIN22は「9・風」で、「白い風」の紋章コード番号は「9」なので「9・2」とも書けるからだ。

最後に暦情報をもう少し整理しておこう。神戸(KIN20)、大阪(KIN21)でのワークは、両日ともサイ時間がKIN1(1・竜)で、奈良の散策(KIN22)はサイ時間がKIN20(7・太陽)であった。つまり、KIN241の私にとっては全日程「神秘のパートナー」と「神秘の4つ組」が絡む特別な時空であったと言える。

そして、マイク(KIN132)、麗さん(KIN183)、私のキン合計は556。ウィウソン(KIN68)、倫子(KIN246)、私のキン合計は555で、その総合計は「556+555=1111」。重複している私の241をそこから引くと870(=174×5)で、「白い倍音の魔法使い」×「倍音」となる。

どうやらここには「五芒星」も関わっているようだが、今回は「タケミカヅチの導き」という観点で、ひと区切りつけておこうと思う。


追記:私が生まれた常陸国の一之宮が鹿島神宮で、その御由緒には以下のような記述があります。

「鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。」

鹿島神宮HPより

磁気の月14日 6・人(KIN32)

8/10(土)13月の暦レクチャー/横浜
8/18(日)「13の月の暦」で「運命の道筋を生きる」/神楽坂

新刊『「13の月の暦」が導くシンクロの旅〜雷龍の国ブータン編〜 』
13の月の暦・スペシャルセット「松・竹・梅」特別割引期間8/12まで!


サポートに感謝いたします! 提唱者のホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が伝えた「平和の暦」としての本来の『13の月の暦』の普及活動と、NPOクリカとして行っているチベット・サポート活動に活用させていただきます。