人生の目的と劣等感
前置き
9独り言、1暇潰しの割合で出来た文章且つ
なんの根拠も教養もない文章なので真に受けないでね。
俺は劣等感感じないために、他の人よりも色んな物を楽しもうとしてるから 物に対しての興味を失ったら生きてる意味がなくて ものに対しての興味が俺にとっての全てで それ以外のことは でもお前、なんのために生きてるの?としか思わないからな 俺に構うために生きてる人なんていないだろって そこまで悟ってるわけじゃないけど それくらい物に対しての興味を保ち続けないと じゃあ、他人と比べあってそれに執着するだけの人生を歩むのかと
趣味の幅が狭い感性のまま、「これが俺だ」とか未熟な感性を放置したまま生きるから、ソシャゲとか時間を浪費するだけの趣味しかやることがなくなる
どれだけ、やりたいことを増やせるかというのが重要で 「(俺にとっては)面白いことねえな、この人生」みたいなことを言うのは、単純に感性が未熟なだけ やりたいことが分からなくなる状態が一番危険なことに気付くのが大前提 どう、やりたいことをやるかが人生だからなあ
他人より多くのものを所有するのは難しいかもしれないけど、他人より多くのことに気付くのは気持ちの問題 出来るだけ多くのものを所有しようというより、多くのことを知るために簡単なことからなにが出来る?っていう発想
所有=幸せではないのは負け犬の発想なのかもしれないけど 他人より持ち物が少なくても人生楽しめるのが理想かなと どう見ても破綻が見えてる生き方をいつまで続けられる?俺は200年は新鮮さを保ちながら楽しめる方法をずっと探してる ちょっとした作業で1年間分のやりたいことが見つかる とりあえず現時点で50歳までやりたいことが見えてる 200年安定した暮らしを送る方法は全然見つからねえけどな なにもしないで見つかるわけねえんだけど
ちょっとした作業で1ヶ月やりたいことが見つかるかどうか これがいつでも出来るか 感性の幅が広ければ、簡単だろう 感性の幅が狭いと、つまらないと感じつつも、時間を潰すために生きるだろう
これは俺の勝手な人生観で、こういう、自分勝手な考え方ではなく、他人を守るために生きてる人もいるだろう 他人より多くのものを所有するために生きてる人もいるだろう 人類に貢献するために生きてる人もいるだろう 俺の話は、俺にしか役に立たない話
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