かつてこんなにも様々な価値観と正義が主張される時代があっただろうか?

SNSを書くのも、最近は何やら躊躇される。

何を書いていいのかわからないからだ。

コロナをきっかけにいろいろな価値観や正義が無法地帯のように、毎日湧き上がる。湧き溢れている。

一人ひとり違う立場で、生活で、価値観で、まとめることなんてできないような数の多さだ。

NO.1じゃなくてオンリーワンでいい

多くの人に指示されたこの言葉も時代と使い方を間違うと、収拾がつかない事態になることを感じる。

今を楽しむ。自分の幸せを考える。など自己開発で読んだ人も多いだろう。

皆と一緒に仲良く。平等に。学校で習っただろう。

良く感じていたことが悉く覆されていく。

自分が楽しければいいのか?でも楽しさではなく生活が関わっていたら?

何が『正しさ』なのか。

そもそも『正しさ』とはなんなのか?

『正』の文字の成り立ちを調べてみた。

「正」という漢字は漢数字の「一」に「止める」と書きます。「正」という漢字は漢数字の「一」に「止める」と書きます。古代文字を見ると、この「一」は四角い形をしていて、城壁で囲われた都市を表しているといわれます。「止める」という字は足あとを描いた象形文字。「行く」「進む」という動作を表します。このふたつの文字をあわせた「正」という漢字は、城に向かって人が進む様子のこと。攻めこんで支配し、そこで暮らす人々に重圧を加え、税の負担を強いる。それがゆるぎない「正義」である。「正」という漢字には、権力者が自らを正当化しようとする思惑が隠されているのです。(引用:【漢字トリビア】「正」の成り立ち物語)

「正しさ」とは権力をもった人間が主張することだったようで…。

「正しい」=「良い」ではないのである。

どうすれば「良い」のだろう。「良い」とはなんだろう。

医療従事者の方には少しでも休めるような状況になってほしいし学生の子たちには友達と過ごす楽しい時間をできるだけ早く確保してあげたいし、飲食店の人のやりがいである「美味しい」笑顔を届けたいし、人の気持ちを華やかにできるエンターテイメントはその輝きを曇らせないでほしいし、楽しく過ごしたい人にも過ごしてほしいし、何年も努力をしてきた人たちのハレの舞台では気持ちよく応援できる日々になってほしい…

今まで何気なくできていたはずの日常がこんなにも難しいものだったなんて。

何気なくできていた日常が、こんなにも脆いバランスの上で成り立っていたなんて。

こんな時は、少しだけ『成功者』になりたいと思う。『権力者』になりたいと思う。『力』がほしいと思う。

もし今私に多少の影響力があれば、号令をかけるのに。

でもそんなクソみたいな想いは、何にもならない。

そして今日もただ、部屋にこもるのだ。何も変えることもできず、何も守ることにもつながらない、部屋に。

くそったれ。

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