見出し画像

2年坊主は免れた。

夏が過ぎたということは、私が社会人ランニングサークル RRTに入ってから丁度3年が経った。今もなんやかんやで目標をもって走ることはできている。スポーツをちゃんと3年続けたのは初めてかもしれない。

中学校の時の2年坊主

私は中学時代陸上部で中長距離をしていた。まともに走っていたのは中2の夏頃までだったと思う。(もはや2年も走ってない。) 私は真面目だから、大人(先生やコーチ)には好かれる性格をしていたのだと思う。でもそれって良いことばっかりではなくて。私は当時クラス居場所がなくて、部活が居場所になっていた。だから大人にはっきりと物を言う友達と大人の板挟みになってしまってた。本当は走りたかった。真面目に部活をしたかったのだと思う、という自分の本当の意思には蓋をして、学校の中で少しでも楽しく過ごすには、1人でも友達が欲しいという居場所を優先させたのだと思う。

高校生の2年坊主?

高校生の時は、何故かバドミントン に入部した。目の前の友達がバドミントン に入るから入るというすごい中身のない動機。陸上部も一応見学に行こうとしたけど、活動実態は見つけられず。経験者の壁は厚いというのもあるのだろうけど、優先順位が部活より勉強だった。なんやかんやで全うできたけど、実際にバドミントン をしてた2年間はバドミントン よりも何かの我慢比べをしていたのかもしれない。それでも出会えた人に恵まれたから、なんやかんやで続けられたのだと思う。(2年坊主という表現が適当から分からぬが、2年以上バドミントン を続けることはなかっただろう。)

大学生の2年坊主。

大学入学時に中学時代の時の凄い先輩にばったりと再会して、また走ろうと思うようになった。一緒に走ってくれた同級生女子の存在も大きい。一緒に頑張る!もあったけど、超えたい存在でもあったと思う。でも2人の間でのパワーバランスが崩れた時、私はまた居場所を失った気分になった。後輩が入ってきた後も然り。意外に繊細な部分も持ち合わせていて、けど要らないプライドも邪魔をして、何が正しいのか分からなくなったのだと思う。今思えば、あの時どんな選択肢が答えだったかという答え探しをするよりも、やると決めた事を淡々とやっていけばよかったのだろうけど、走るの目指す先を失ったワタシにはそんなことは出来なかった。結局組織には残ったものの、組織でただただ時間を消化していた。大学時代、初心者スタートだから伸びるところ際限なかったはずなのに、PBは2回生の夏。これこそ2年坊主の成れの果てだと思う。

社会人は2年坊主になってない?

不思議は不思議。社会人ランニング 初めて以来、4回目の秋を迎えている。初年度は身体おこし、2年目は伸び盛り、3年目は再起、そして今年は何の秋だろうか?

サボったらサボった分だけ痛い目をみる。2020年3月にPBの3時間24分をだしても、半年ジョグだけにしてしまうと、こうも弱るのだという事を最近身に染みて感じている。それでも目標をもってまた走り出そうとしている時点で、学生時代の自分よりも成長しているのかもしれない。

組織に縛られていない。走るという行為を自分でコントロール出来る環境にあるからこそ、自分に甘くすることもできるけど、やらないと悲しくなるのも見えてる。ある意味自分のやりたいようにいかようにも出来る環境だなと思う。走りたい時は走るし、サボりたい時はサボる。それに対して誰も何も言わない。どうしたいのか、どうありたいのかと常に向き合って、行動にしていくしかないんだろうなあと思う。

続けるってなんだろう。

そう、毎日走らないといけないのか、月に一度走れば良いのか、人によって続けるのレベル感は違うと思う。あくまでワタシの場合、っていうので書くと楽しく走れる走力水準を維持することとだろうか。となると今は凄くギリギリかもしれない。それでも5日走らないとやばいと思い、自然と走る方に足が向いてる時点で続いていると言えるのかもしれない。

4年目の目標を叶えるために。

ハイテクハーフでPBと先日宣言した。となると、4分30/kmを切るペースでハーフを走ることになる。となると走れる距離を伸ばしていくしかないし、じゃあ10キロ45分を一回やってみるべきーとか指標はいくつかあるので、いつまでにここまでもってきて〜とかいう計画を立てていく必要もあるかもしれません。ミニマムでゴールをいっぱい作って一つずつ超えていく。大きい目標を立てる時は、走る以外のどんな事を達成させてきた時もそうだったのではないだろうか。いま原点回帰して、目標を達成させる道筋を作るべきではなかろうか。ちょとそれを今度書き出してみよう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?