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2023.12.24

クリスマスイヴの早朝、あまりの寒さに目が覚める。弱めに設定しておいた加湿器から、ゆらゆらと申し訳程度の蒸気が噴き出ている。

羽毛布団で温められすぎた体は汗をかき、その汗を師走の容赦ない冷え冷えとした空気が冷やしていく。これこそが、私が冬に風邪をひくメカニズムであることに、この文章を書いていて気がついた。

先日までひいていた風邪による喉の痛みは解消されたものの、その症状は今度は鼻水に移行。次から次へと繰り返される体調不良。なんとなく感じる栄養失調。ダラダラと流れ続ける鼻水でないことだけが不幸中の幸いである。

なにを思い立ったのか、朝から風呂掃除をした。以前から気になっていた、浴室とキッチンを隔てる扉の下部にある溝を掃除しようと無計画にパジャマのズボンを捲り上げ、泡ハイターをプシュプシュと連続で発射した。

少し時間を置いてからシャワーで洗い流すため、その間はベッドに戻って、柴田聡子の『きれぎれのダイアリー』を読むことにした。この本は、彼女がとある文芸雑誌に2018年から2023年まで連載していた『きれぎれのハミング』をまとめたエッセイ集である。

この連載の存在を今年の春に知った新参者の私にとって、こんなに素晴らしく有難いことはなかった。普段は滅多に本の予約などしない私が、予約受付の初日に真っ先にインターネットに飛びついて、早々に予約を完了させた。発売日を今か今かと待ち侘び、ようやく手元に届いた初版本には、なんと彼女の直筆のメッセージが添えられていた。たまらなく嬉しくなって、その文字をそっと指で撫でた時、両の頬が緩むのがわかった。

彼女の文章を読んでいる時、なにも滞りを感じないことをいつも不思議に思う。クスッとなるような話や興味深い話がいくつもあるのに、不思議と彼女の言葉たちがスッとこちらに入り込んでくる感覚がある。語感がいいのだろうか、言葉のリズム感がいいのだろうか。村上春樹の小説を読んでいるときにも、これに似た感覚があった。
そして彼女の文章は、とても温かい。彼女自身の人柄の良さや心のおおらかさが言葉の一つ一つに宿っている。こういう文章を書けるようになりたい。

本を読み進めていると、なんだか腹が減ってきた。何か温かいものでも飲もうかと、キッチンへ向かうと、開けっぱなしの扉が目に入った。風呂掃除のことをすっかり忘れていた。
幸い、鼻詰まりでハイターの臭いは気にならなかったものの、鼻が通っていればもっと早く掃除の途中であることに気付けたのではないかとも思う。この世の全ての物事は一長一短で成り立っているとつくづく感じる。

再びズボンを捲り、浴室内から扉の溝に勢いよくシャワーの水をかけて、汚れを洗い流していく。しかし、汚れは簡単には流れてくれない。絶対にそれを素手で触りたくない私は、シャワーの水圧に任務を託すことにした。時々扉を開けて、外に水を撒き散らしていないか確認しながら、徐々にその水圧を高めていった。シャワーヘッドを器用に動かしながら、溝に溜まった汚れを洗い流していく。

シャワーの当て方のコツを段々掴んできて、それがいつしか快感になり、途中からはもう夢中であらゆる角度から溝を洗い流した。肌に当たったら貫通してしまうくらいの水圧で、容赦なく洗い流していった。

長い戦いの末、見事に溝はピカピカになった。水圧、恐るべし。それから浴室の床も綺麗に洗って、一仕事終えた気分で扉を開けると、キッチンの床にはしっかりと水が撒き散らかされていた。さすがにやりすぎてしまったようだ。

やれやれと濡れた床をキッチンペーパーで拭いた。クリスマスイヴの朝に、私はなぜ床を拭いているのだろう。
床はシンと冷えていて素足では歩けないほどに冷たい。部屋を暖めて、昨日買ってきたお菓子でも食べながら、ココアを飲もう。
身の丈に合った、ささやかな生活。少しだけ不便な心地良さ。再び戻ってきてくれて嬉しい、そういう感じ。

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