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門出も船出もまだいない

昨年末の私は、珍しく働き詰めの日々を送っていて、身体も心もわかりやすく疲弊していた。本を読む時間があるのなら、その時間を睡眠に充てたかった。
見るだけで体調を崩しそうなスケジュールと睨めっこしながら、年末年始に炬燵でのんびりと本を読んで過ごすことだけを心待ちにして、なんとか仕事を納めた。

翌朝、マスクをしていることをいいことに大欠伸を連発しながら電車に揺られ、朝一番のバスに飛び乗って実家へ帰ってきた。

久しぶりに会うはずの娘に、両親はさほど関心がないようで、「おかえり〜」という気の抜けた声だけがこちらに向けられる。こんな形ばかりの挨拶にさえも、どこか安心感を覚えるのだから実家とは不思議な場所である。

さてさてと大事に持ってきた一冊の本を鞄から出し、のそっと炬燵に寝転がる。『旅する練習』、貰った時からずっと読むのを楽しみにしていた本だった。

物語としては、姪がサッカーの合宿所から持ち帰ってきてしまった一冊の本を返しに行くため、姪と小説家の叔父が手賀沼から鹿島まで、それぞれリフティングと物書きの練習をしながら歩いて旅するというものである。

それは読んでいて心が苦しくなるくらい、色鮮やかで眩い旅の話であった。旅の途中で出会う鳥たちが纏う繊細な色、静まり返った空気の中でしか聞こえない音や見えない景色、計画的な旅程に織り込まれるちょっとしたハプニング、気付けばリフティングだけでなく人間としても成長していく姪、それを優しく見守る叔父の眼差し。波風が立たない海のように静かな物語だった。

どこかへ旅に出たくなったとき、将来が少し不安になったとき、なんとなく大事かもしれないと思った節目に一人で読み返したくなる、そんな本だった。

もっと笑いたい、正月くらい。ニューイヤー駅伝の4区中継地点、想像以上に伸びすぎた出来立ての餅。そのくらいしかまだ笑っていない。
心配なことが絶えない。何が起こっているんだろう。何もできない。こんな時、何をすべきなんだろう。でも何もできない。

そんなことを考えながら次の本を読んでいたら、うっかりページに水をこぼしてしまった。借り物の本なのに。一体何が起こっているんだ。皮肉にも、水をこぼしたページの数字は好きじゃない数字だった。嫌いになる価値もない、ただの好きじゃない数字。

ただ穏やかに過ごしたい、それだけなのに。どうしようがいっぱい。みんなで楽しく生きていたいだけなのにね。

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